この物語は、まっすぐに生きる高校生たちの群像をさわやかに描いてゆく――。
太平洋戦争が終わって18年、日本は焼け跡から奇跡の復活を遂げた。そして、高度経済成長が始まろうとしていた時代に、復活の象徴として、日本は東京オリンピックの開催を目前に控えていた。人々は古いものはすべて壊し、新しいものだけが素晴らしいと信じていた。煙突から吐き出される煤煙。道路をひしめく車の土埃。人々でごった返す街。工事や建物の解体作業の騒音。しかし、それでも海は青く、緑は輝き、空は広く、世界は希望に満ちてキラキラと輝いていた。そんな時代に、横浜にあったある高校で、明治に建てられた由緒ある建物をめぐって、小さな紛争が起きていた。古いけれど、歴史と思い出のつまった建物。それを取り壊すべきか、保存すべきか。ある高校生の男女が、そんな事件の中で出会い、心を通わせ、助け合って行く。ふたりが見出した日本の“明るい未来”とは、何だったのか。16歳の海と17歳の俊の愛と友情を横糸に、建物をめぐる紛争を縦糸に、この物語は、まっすぐに生きる高校生たちの群像をさわやかに描いてゆく――。
1963年の横浜の高校生、そして戦後の混乱期を生きた親の世代。親子二世代に亘る青春を描く、スタジオジブリ最新作。
2010年邦画No.1ヒットを記録した『借りぐらしのアリエッティ』に続く、全国民待望のスタジオジブリ最新作が『コクリコ坂から』である。企画・脚本は宮崎駿。監督は、『ゲド戦記』以来5年ぶりに演出を手掛ける宮崎吾朗。宮崎駿は、この映画を「人を恋(こ)うる心を初々しく描くものである」と語っている。
1963年の横浜を舞台に、16歳の海という少女を中心とした高校生の青春を丁寧に描きだしていく。とある高校の古い建物をめぐる紛争の中で出会う、海と俊。徐々に惹かれあうふたりに、ある試練が襲いかかる。自分たちは兄妹かもしれない…。それでも、ふたり現実から逃げずまっすぐに進む。そして戦争と戦後の混乱期の中で、親たちがどう出会い、愛し、生きたかを知っていく。そんなふたりが見出した未来とは――。様々な価値観が交錯した戦後から高度成長期を背景に、現代を生きていく意味を見つめていく――。
ファンタジックな要素を排した本作は、新たなジブリの挑戦ともいえるであろう。
声の出演に 長澤まさみと岡田准一が決定
主人公の16歳の少女・海を演じるのは、長澤まさみ(23)。今まで、スタジオジブリがアニメーション製作を担当したゲーム「ニノ国 漆黒の魔導士」(10)などでのアフレコ経験はあるが、アニメーション長編映画でのアフレコは初挑戦。鈴木プロデューサーはその起用について、「海ちゃん役の長澤(まさみ)さんに関しては、三谷幸喜さん脚本のドラマ『わが家の歴史』での彼女のお芝居が良かったので、決めました。」と語っている。長澤は「声優は初めてのことですが、海ちゃんのしっかりとした芯のあるところをキチンと出せるよう、丁寧に落ち着いて取り組みたいです。」とコメント。
海が心を寄せる17歳の少年・俊を演じるのは、岡田准一(30)。『ゲド戦記』に続き再び、宮崎吾朗監督とタッグを組むこととなった岡田は、「宮崎吾朗監督とは、二度目のお仕事になりますが、今回もお話をいただけたこと、そして大好きなジブリ作品に参加させていただけることを大変光栄に思います。」と語っている。さらに、石田ゆり子(41)、風吹ジュン(58)、内藤剛志(55)、柊瑠美(23)らジブリ作品常連組から、竹下景子(57)、香川照之(45)、そしてジブリ初参加となる風間俊介(27)や大森南朋(39)まで、実力派俳優陣が脇を固める。
上を向いて歩こう。
映画の制作状況は、3月に行われた主題歌発表記者会での鈴木プロデューサーの発言にあった通り依然遅れてはいるものの、5月中旬から主要キャストによるアフレコも本格的にスタート。ひとつひとつ順調に作業を重ねている。宮崎吾朗監督(44)は「岡田君は一度一緒にやって信頼しているから。長澤さんを選んだのはカンです。カンは大当たりでした。アフレコはとても順調に進んでいます」と話している。
昨年12月の時点で選ばれた、本作のキャッチコピー「上を向いて歩こう」。スタジオジブリは、今を生きる日本人全てに贈るべく、7月公開に向け、『コクリコ坂から』製作に一層励んでいる。
松崎海(長澤まさみ)
●高校二年生の少女。父を海で亡くしたが、長女として仕事を持つ母親を助けつつ「コクリコ荘」の下宿人含め6人の大世帯の面倒を見ている。
●1987年6月3日生まれ。
★長編アニメーション映画の声の出演は初めてです。
声の出演をした過去作品:
『つみきのいえ』(08)*ナレーション
「ニノ国 漆黒の魔導士」(10)など
*スタジオジブリがアニメーション作画を担当しニンテンドーDS用ゲーム。
●長澤まさみさんコメント
喜びと同時に、ジブリ作品が大好きなので私で大丈夫かなと少し不安もありますが、とにかく楽しむことを忘れないように自分らしく出来たらと思います。(長編アニメ映画での)声優は初めてのことですが、海ちゃんのしっかりとした芯のあるところをキチンと出せるよう、丁寧に落ち着いて取り組みたいです。(脚本を読んで)私たちに何が本当に必要なのか考える時間を持ってみることも、大切なのではないかと思いました。
風間俊(岡田准一)
●高校三年生の少年。新聞部の部長を務める。
●1980年11月18日生まれ。
声の出演をした過去作品
スタジオジブリ作品:『ゲド戦記』(07)王子アレン役
その他の作品:『サンダーバード』(04)アラン・トレーシー役など
●岡田准一さんコメント
宮崎吾朗監督とは、二度目のお仕事になりますが、今回もお話をいただけたこと、そして大好きなジブリ作品に参加させていただけることを大変光栄に思います。監督やキャスト、スタッフの皆様に支えていただき、いつまでも観続けられるジブリ作品の力に、少しでもなれるように精一杯演じたいと思います。
松崎花(竹下景子)
●海の祖母。海にとって、不在のことが多い母親代わりのような存在。
●1953年9月15日生まれ。
声の出演をした過去作品
スタジオジブリ作品:『借りぐらしのアリエッティ』(10)貞子役
その他の作品:『ガラスのうさぎ』(05)江井ヒデ役など
北斗(石田ゆり子)
●コクリコ荘に下宿する研修医。
●1969年10月3日生まれ。
声の出演をした過去作品
スタジオジブリ作品:『平成狸合戦ぽんぽこ』(94)おキヨ役
『もののけ姫』(97)サン/カヤ役(二役)
その他の作品:『真救世主伝説 北斗の拳』シリーズ(07~)ユリア役など
広小路幸子(柊瑠美)
●コクリコ荘に下宿する、某美術大学の学生。
●1987年8月1日生まれ。
声の出演をした過去作品
スタジオジブリ作品:『千と千尋の神隠し』(01)荻野千尋役
『崖の上のポニョ』(08)婦人役
松崎良子(風吹ジュン)
●海の母。アメリカの大学で研究をしており、日本を長期間離れることが多い。
●1952年5月12日生まれ。
声の出演をした過去作品
スタジオジブリ作品:『ゲド戦記』(06)テナー役
その他の作品:『源氏物語』(87)など
小野寺善雄(内藤剛志)
●海と俊の両親にとって大切な旧友。
●1955年5月27日生まれ。
声の出演をした過去作品
スタジオジブリ作品:『ゲド戦記』(06)ハジア売り役
『千と千尋の神隠し』(01)お父さん役
その他の作品:『アトランティス/失われた帝国』(01)ヴィニー役など
水沼史郎(風間俊介)
●生徒会長を務める俊の親友。
●1983年6月17日生まれ
声の出演をした過去作品:『劇場版 遊☆戯☆王』シリーズ 武藤遊戯役
風間の父(大森南朋)
●風間俊の父。
●1972年2月19日生まれ。
声の出演をした過去作品:『鉄コン筋クリート』(06)チョコラ役
『ホッタラケの島 遥と魔法の鏡』(09)遥の父役
徳丸理事長(香川照之)
●海や俊たちをサポートする、新橋近辺の会社社長。心優しい大人。
●1943年1月15日生まれ。
スタジオジブリ作品:『ゲド戦記』(06)ウサギ役
『アズールとアスマール』(06)クラプー役
*三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー作品
自分達の力で切り抜けねばならない。それをてらわずに描きたい。
少女マンガは映画になり得るか。その課題が後に「耳をすませば」の企画となった。「コクリコ坂から」も映画化可能の目途が立ったが、時代的制約で断念した。学園闘争が風化しつつも記憶に遺っていた時代には、いかにも時代おくれの感が強かったからだ。今はちがう。学園闘争はノスタルジーの中に溶け込んでいる。ちょっと昔の物語として作ることができる。
「コクリコ坂から」は、人を恋(こ)うる心を初々しく描くものである。少女も少年達も純潔にまっすぐでなければならぬ。異性への憧れと尊敬を失ってはならない。出生の秘密にもたじろがず自分達の力で切りぬけねばならない。それをてらわずに描きたい。
「コクリコ坂から」は、1963年頃、オリンピックの前の年としたい。47年前の横浜が舞台となる。団塊の世代が現代っ子と呼ばれ始めた時代、その世代よりちょっと上の高校生達が主人公である。首都高はまだないが、交通地獄が叫ばれ道も電車もひしめき、公害で海や川は汚れた。1963年は東京都内からカワセミが姿を消し、学級の中で共通するアダ名が消えた時期でもある。貧乏だが希望だけがあった。(中略)新しい時代の幕明けであり、何かが失われようとしている時代でもある。とはいえ、映画は時代を描くのではない。
ふたりはまっすぐに進む。心中もしない、恋もあきらめない。真実を知ろうと、ふたりは自分の脚でたしかめに行く。簡単ではない。そして戦争と戦後の混乱期の中で、ふたりの親達がどう出会い、愛し生きたかを知っていくのだ。昔の船乗り仲間や、特攻隊の戦友達も力になってくれるだろう。彼等は最大の敬意をふたりに払うだろう。
終章でふたりは父達の旧友の(俊の養父でもある)タグボートで帰途につく。海はその時はじめて、海の上から自分の住む古い洋館と、ひるがえる旗を見る。待ちつづけていた父と共に今こそ帰るのだ。そのかたわらにりりしい少年が立っている。
観客が、自分にもそんな青春があったような気がして来たり、自分もそう生きたいとひかれるような映画になるといいと思う。
今この映画を作る意味をきちんと見極めなければならない。テーマは常に「現代」です。
監督を誰にするか。ジブリというのは、ご存知のように、宮崎駿、高畑勲の二人が互いに作品を作ってきた会社です。ですから、その両巨匠がやる時には監督の意向を汲んで作品を作る。ただ、若い人にチャンスを与える時は、そのやり方を大きく変えようと。企画はこちらで決める。そして、シナリオ段階まではプロデュースサイドで決める。そういうやりかたで「アリエッティ」もやった訳なんですが、今回もそういうことで宮さんが企画を立て、監督を誰にするかということになりました。
宮崎吾朗は「ゲド戦記」以来ですから、5年ぶりになるのでしょうか。2本目を作るのかどうかという問題もありましたが、「どうしても映画という仕事をやっていきたい。押し付け企画で構わない」ということで、宮さんに「吾朗くんでやりたいと思う」と話しました。宮崎駿からは、ただ一言「映画監督というのは、2本目が大事だ」と。1本目はビギナーズ・ラックという言葉もある。2本目で成果を問われる。だから、吾朗くんが生半可な気持ちだったり、ダメだったりしたら解任ということも考慮に入れて、吾朗くんにやらせようということになりました。
宮崎駿からは、「当時の舞台をきちんと再現しよう。その上で、そこに生きている人たちがどんな人間なのか、というのがお客さんに対して最も説得力がある」と言っております。しかし、なにしろ宮崎吾朗は1967年生まれですから、彼にとっては時代劇を扱うに等しいんです。吾朗くんは取材をしたり、本を読んだりしていますけれども我々は、「昔は良かったとよく言うが、それではダメだ」と言っています。今この映画を作る意味をきちんと見極めなければならない。チャンバラ映画とか、SF映画とか、いろいろあったんですけれども、テーマは常に「現代」です。それをどうやってやるか。それを今、いろいろ一生懸命現場で頑張ってやっているつもりです。
Q:「上を向いて歩こう。」というキャッチコピーがありますが、鈴木さんは坂本九さんの大ファンでもありますので、そのような楽曲を時代設定としてイメージしているのですか?
僕は坂本九ちゃんの大ファンでして、「上を向いて歩こう」というのは映画のコピーになるかなと思っていたんですね。前向きに進んでいくのはしんどい時代ですよね。僕自身、そうです。だからといって、後ろも向きたくはない。そんな時に、これがあったなと。映画の内容にも関係があるから、吾朗くんにも聞きました。そうしたら、「ああ、いいですね。みんなが下を向いている時代だから」と言いました。なるほどなと。それで許諾をいただきました。僕はものすごく嬉しいですね。
Q:現在も模索中ということですが、今この作品を作る意味をどう考えていますか?
難しいですよね。ある時代の人の生き方が、時を経て参考になることがあると思うんですよね。そういう意味では、1963年というのは、今ほど人が複雑じゃなかったという気がしているんです。当時の映画なんかを観ても、人には頭を動かすことと、体を動かすことが必要ですが、そのバランスが非常に良かったように思えるんです。一方、現代は頭を動かすことが増えてしまっている。そういうことを吾朗くんと話してます。人間の生き方は不確かですよね。一つの生き方は、目標を持ってそれに到達するように努力する。それは、現在・過去・未来の中で今を捉えるということだと思います。そして、もう一つの生き方は、目の前にあることをこつこつやっていく。それによって拓ける未来がある。どちらも正しいと思います。そのどこかにこの答えがあると思うんです。そういったものを感じさせてくれる何かがあると、今の時代を生きられると思うんですね。そういったものを、この映画の中に出してくれとは注文しています。
今、この企画を自分達が作っていたのは、間違いではなかった。
【宮崎駿】
こういう発表会をやるのがいいのかどうかという問題があったのですが、あえてやろうと思いました。今この時も、埋葬もできないまま瓦礫に埋もれているたくさんの人を抱えているこの国で、原子力発電所の事故で国土の一部を失いつつある国で、私たちはアニメーションを作っていくという自覚を持っています。自分たちは、とにかく停電になっても仕事を続けようと思いました。郵便配達の人は郵便を配っているし、どんなに渋滞が起こってもバスの運転手はバスを放棄しないで待っていますから、我々も仕事を続けようと。コンピューター関係は、電気が落ちると混乱が起こるので夜勤体制にしましたが、絵を描く方は停電になっても窓際で描けるから、鉛筆と筆のセクションはとにかく仕事を続けるという体制でやってきました。
また、この歴史的な事件を挟んで、自分たちの作ろうとしている映画が、時代の変化に耐えられるかどうかというのが、僕らの最大の関心だったんです。つまり、私は企画と脚本しかやってませんから、映画のできあがりについてはよく分かりません。今この企画を自分たちが作っていたのは、間違いではなかったと思っています。映画の企画そのものについて説明しますと、これは30年前に僕がたまたま山小屋にいた時に出会った、当時はまだ小学生だった姪たちが残していった少女マンガから思いついた企画です。それからもう30年経ってます。少女マンガが映画になるのかという議論を友人たちとして、その時僕は「コクリコ坂から」を映画にしたいと思っていろいろ考えましたが、(原作の中に)学園紛争があり、30年前は一番学園紛争が古めかしいものだったので、企画としては断念しました。
しかし、その後もずっと心の中に引っかかって、折りに触れていろいろ考えていたものが、ある時「さよならの夏」という歌がたまたま森山良子さんのリサイタルCDの中に入っていまして、ずいぶん前に日本テレビのドラマの主題歌だったそうなんですが、この歌を聴いて「ああ、主題歌までできてしまった」と思ってしまったんです。それで、ここ2、3年、企画をやらなければならなくなって考えてみますと、今まで自分たちがやってきたファンタジーをやる時期ではないと。何を作るか模索してきて、その模索の一つが、40年前に読んでひっかかっていた「借りぐらしのアリエッティ」であり、今回は30年前から温めてきた「コクリコ坂から」を映画にすることにしました。原作と違いまして、自分がアニメーターになった東京オリンピックの前の1963年を舞台にしていますが、その頃の若者たちはまさか自分たちがエアコンのある家で暮らしたり、エアコンのある職場で働いたり、自動車を持つようになるとは夢にも思わなかった。そういうことを願っていた人もいますけれども、少なくとも僕らは四畳半の下宿でいいんだと思っていました。僕も、無理すれば買えたかもしれないけれど、ラジオもテレビもない下宿にいた記憶があります。
その時に、自分たちがどう生きようと夢見ていたかということを、それはどう生きられたかとは別のことですが、どう生きようと願っていたかということを形にしたのが今回の映画です。私のシナリオが遅れたために製作はひどいことになっています。2カ月早く僕のシナリオが終わるはずだったんですが、これがなかなか難産でスタッフ全体に迷惑をかけてしまいました。今製作している最中です。旗を毎朝あげている少女と、海からやってくる少年の出会いです。僕らが今の時代に応えるために精一杯作ろうと思ってやってきました。主題歌は森山良子さんがもう少し若ければ、森山良子さんにお願いするところなんですが、(主人公の海ちゃんとの年齢が)合わないということで新しい歌い手の方に歌ってもらうことになりました。この歌を全然中身の違う映画にもう一回使うことを許していただけて、本当にありがたく思っています。
【宮崎吾朗】
自分たちがこうして映画を作っていられるということが、自分たちを支えてくれているんだなと、震災から約2週間経って思っています。ちょうど震災の前日が、この主題歌のレコーディングの日でした。その日に主題歌を聴きながら感じていたことは、単に若い女性が好きな男性のことを想っている歌ではなくて、もう少し広い意味を持っているんじゃないかなと。それはどういうことかというと、つまり鎮魂歌のように思えたんですね。レコーディング直後のこの大震災で、偶然としか言いようがないんですけれども、この歌の持っている力、意味が、僕にはものすごく重たく感じられました。今僕たちが作っている映画が僕たちを支えてくれているように、震災で傷ついた人たちの支えになってくれればなと思っています。
【手嶌葵】
「ゲド戦記」以来、また主題歌を歌わせていただけることを本当に嬉しく思っています。私にとって素敵なことが2回あるというのは、本当に幸せなことです。今回被災に遭われた方々にどう言葉をかけたらいいのか、まだ自分でもよく分かってはいないのですが、一緒に手を握り合って前に進んでいけたらいいなと思います。
Q:「震災が起きて、この映画が耐えられるか心配だった」との一方で、「この映画は間違っていなかった」とも仰っていましたが、そう思えた部分はどんなところでしょうか?
【宮崎駿】
「流行っているものをやらない」というのがジブリの誇りでした。しかし、あまりにも自分たちを取り巻くもの、そして自分たちの生活そのものも淀んできて、「不安だけが広がる時代に一体何を作るのか?」ということを自分たちは問われているのだと思います。そういう意味で、ヒロインの海という少女の願いが、そして少年の雄々しく生きようという気持ちは、これからの時代に絶対必要なものだと思います。残念なことに、私たちの文明はこの試練に耐えられない。だから、これからどういう形の文明を作っていくか、模索を始めなければならないと思います。誰のせいだとか、あいつのせいだとか言う前に、敬虔な気持ちでその事態に向き合わなければならないと思います。先ほども申しましたように、今何十万もの人間が寒さに震え、飢えに震えている。それから、放射能の前線に立っているレスキューや自衛隊員や職員のことを思うと、その犠牲に対して、感謝しており、誇らしく思います。…今は文明論を軽々しく語る時ではない。敬虔な、謙虚な気持ちでいなければならない時だと思いますから、この映画がこの事態に、多くの人たちの支えになってくれたら嬉しいなと思います。
Q:今回の震災が、今後の作品作りに影響を与えると思いますか?
【宮崎吾朗】
今やっているものを作り上げるということが目標ですから、その後のことはなかなか考えられませんけれども、たぶん変わることはないと思います。むしろ、確固たるものになった。正直、自分も1年前、2年前は弛緩した状態だったんじゃないかと思います。こういう時代だからこそ、何かを作らなければという気持ちはより強くなりました。将来的に作り続けることができるのであれば、そのまま作り続けることができるだろうと思っています。
Q:現在の進捗状況はどうですか?
【鈴木プロデューサー】
アニメーション部分の絵は9割方できてきているんですよ。背景は少し遅れています。コンピューターの関係で言うと、色を塗って、撮影するというのがありますけど、全体では50%ですかね。本当はこの段階で70%は欲しいところなんですけどね。それをどうやって詰めるか…なんとかやります。お客さんのニーズに応えたいと思っています。
公開日:7月16日(土)全国東宝系ロードショー
劇場:全国東宝洋画系
製作状況:6月下旬 作品完成(予定)
7月~ マスコミ試写、一般試写会 開始
上映時間:91分
企画:宮崎駿
監督:宮崎吾朗
原作:高橋千鶴・佐山哲郎(角川書店刊)
脚本:宮崎駿・丹羽圭子
プロデューサー:鈴木敏夫
音楽:武部聡志(徳間ジャパンコミュニケーションズ)
主題歌:手嶌葵「さよならの夏~コクリコ坂から~」(ヤマハミュージックコミュニケーションズ)
挿入歌:坂本九「上を向いて歩こう」(EMIミュージック・ジャパン)
製作:スタジオジブリ・日本テレビ・電通・博報堂DYMP・ディズニー・三菱商事・東宝
特別協力: ローソン・読売新聞
配給 東宝
長澤まさみ 岡田准一
竹下景子 石田ゆり子 柊瑠美 風吹ジュン 内藤剛志 風間俊介 大森南朋 香川照之
『コクリコ坂から』7月16日(土)全国東宝系ロードショー
企画:宮崎駿/監督:宮崎吾朗
原作:高橋千鶴・佐山哲郎(角川書店刊)/プロデューサー:鈴木敏夫
音楽:武部聡志(徳間ジャパンコミュニケーションズ)
製作:スタジオジブリ・日本テレビ・電通・博報堂DYMP・ディズニー・三菱商事・東宝
配給 東宝
長澤まさみ 岡田准一
竹下景子 石田ゆり子 柊瑠美 風吹ジュン 内藤剛志 風間俊介 大森南朋 香川照之
(c)2011 高橋千鶴・佐山哲郎・GNDHDDT
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