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2010年8月のこと

さて、MMAからの引退を決意するに至るまでの経緯を書くとなると、本当に色々なことがあったんだけど、
やっぱり、その要因となった数ある出来事の一番最初のものは、2010年8月の、ライト級に階級を下げた初戦と、その前後のことですね。

ということで、そこから書こうと思うんだけど、いつか引退したら書こうと思っていた話を、まさかこんなに早くすることになるとはなぁ。
あと5年くらいは書かずに済むような選手でいたかった、というのが正直なところですね。(涙)

結論から言って、ライト級は厳しかった。
体重と一緒に、色々なものを失ってしまいました。

まず最初に失ったのは、質の良い睡眠。
体重が減ってくるに連れ、睡眠障害に陥ってしまいました。
体脂肪率が低くなると、寝付きや睡眠の質が悪くなるということは、まぁ起こることだという話も聞いたけど、これまでに経験したことの無い、良い睡眠の取れない毎日が、心身への大きなストレスに。
あまりにも眠れないもんだから、こりゃたまらんとばかりに、最後の2週間は毎日睡眠薬を飲むようになったんだけど、

睡眠薬の力で一応は眠れても、そんなに長い時間は眠れず、そして目が覚めても疲れは殆ど取れていなくて、そんなんだから練習の質は落ち、代謝も落ち、でも減量があるから運動はしなきゃって頑張って、更に疲れを溜めてより眠れなくなり、だから更に代謝も落ちて体重も減りづらくなり……と、完全なるデフレスパイラルに。

そして信じられないことに、これまでずっと、あんなに旺盛だった性欲が、

その旺盛さ故に、過去には幾度か周囲にご迷惑をお掛けしたこともあった程の、性豪を自認していた程のあの性欲が、きれいさっぱりと何処かへ消え去ってしまいました……。コレは悲しい。本当に悲しい。
それまでの自分との物凄い落差には驚くばかりで、本当に物凄いから、どう物凄いのかをここで事細かに書きたいくらいだけど、物凄いシモい話になってしまうので割愛致します。
でも、とにかく悲しかった。

と、睡眠と性欲という、日々の活力に直結している大きな二つを、まず失ってしまいました。

そもそも70kgの戦える身体を作るということ自体、あのときの自分には無理難題だったかなと、今となっては思いますね。
様々な失敗を通して、減量や、自分の身体のことも2年前とは比べ物にならないくらい理解出来てきた今となって思えば、ああすれば良かった、こうすれば良かったということは色々とあるけれど、

2年前の、そういった減量に関する知識や経験の蓄積が全くない状態では、70kgの戦える肉体を作るというのは、相当な高いハードルだったように思います。

幼少期の手術の影響で特殊な肉体条件を持つ人間の、35歳になってからの初めての本格的な減量。そのゴールは16歳のとき以来、約20年ぶりの70kgで、しっかりと戦えるコンディションも一緒に作るという、やっぱり初回で見事に成功させるには、本当に相当高いハードルだった。
秋山成勲選手がやっていたように、事前に一度シミュレーションしたり、もっと時間を掛けた入念な準備が必要でしたね。

いま、客観的に見られるようになってこそ、そう思うけど、そのときは、俺なら1発で成功させられるだろうと、何の疑問もなくそう思っていたんだから、まぁ甘かった。

話は戻って、そんなデフレスパイラルの中で、何よりも最悪だったのが、睡眠薬の副作用に「悪夢」というものがあって、その悪夢を、試合の朝に見て目が覚めたこと。

自分の頭蓋骨に大きな穴が開いて、そこから脳みそが流れ出てくるという夢だったんだけど、もうこの年齢で、これまでに色々な夢を見てきていたら、ゾンビの群れに襲われるとか、あの芸能人と恋仲になって今まさにチョメチョメしようとしてるとか、そんな現実とかけ離れた夢を見りゃ、あ、これは夢だなって、夢の中で分かるじゃないですか。

でも、あの日の悪夢はそれとは違い、脳みそが流れ落ちて行くに連れてどんどん意識が遠のいて行くときの、「あぁ、俺はこのまま死ぬんだ……」という怖さは、とても夢とは思えないリアリティー溢れるもので、そして、そんなことが起こっている原因は、長いこと格闘技をやってきたからだということになっていて……

本当に怖くて死にたくなくて、とにかく助かりたい一心で、

「もう格闘技なんか辞める!もう二度とやらないから助けてくれーーーっ!」

って、遠のく意識の中、出来る限りの力で叫んだところで目が覚めたんだけど、目が覚めたら……格闘技を一番頑張らなきゃならない日だったという。

汗びっしょり&心臓バクバクの最悪な目覚めで、夢であったことの安堵感も大きかったけど、それ以上に、死を目の当たりにしたときの自分のうろたえ様、胆の据わってなさがショックでしたね。
あぁ、俺は自分で思っているよりも情けないヤツだったんだなって、そのことにも結構なショックを受けたものです。

そんな目覚めで迎えた試合の日。
体重も大して戻らず、力感は全然無いしで、これは調子悪いぞって感覚だったけど、調子が悪いと自覚して慎重に戦えば大丈夫だろうと自分に言い聞かせながら会場へ。

会場に着いて、リングでアップしたときには、まぁそこそこスピードはあって、なんとか行けるかなと思い、でもやっぱりなんか身体がシャキッとしていない感じだったから、試合前にしっかりとアップをやってから臨もうと、自分の出番の数試合前から入念にアップ。そしたら……そのアップだけでガソリンが尽きてしまった。

自分の1試合前になって前室に移動して、そこで最後に少し動いてリングに向かおうとしたら、一向にエンジンに点火せず、汗も出ずで、うわーマジで!?ヤバいよヤバいよ!と、出川さん状態でリングへ。

で、試合は何も出来ずに判定負け。ほとんどの時間を、相手の攻撃を凌ぐだけで過ごすことになってしまいました。

身体は動かず、頭もずっとボーッとしているような感じで働かず、これまで自分がどうやって戦ってきたかも思い出せなくて、本当に何もできなかった。
今日の俺はデビュー戦の選手とやっても勝てるかどうか分からないなって、そんなことを試合中に思ったのを覚えてますね。
試合の結構早い段階から、下から仕掛けたり立ち上がろうとする体力も無くなって、ただ致命傷を受けないように守ることしかできなかった。

そうやって、環境を変え、階級も変え、さぁ未来を切り開いていくぞ!と臨んだライト級転向初戦を、想像もしていなかったような、これ以下はないだろうっていうくらいの悪い形で終え、自分への期待は失望に、希望は絶望に変わってしまい……

これまでに経験したことの無いようなどん底の日々と、MMA引退へのカウントダウンが始まるのでした。


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郷野 聡寛(ごうのあきひろ)
体格:176cm 78kg(試合時体重70kg)
経歴:第4代全日本キックボクシング連盟ヘビー級王者、PRIDEウェルター級GP2006第3位
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