本年も夜露死苦押願い致しま忍。
5年前にグラバカを離れたとき、表には出さないようにしていたけど、やっぱり感情的なものもあった訳で、そしてそれは長いこと残っていて、
何年か前に、俺と菊田さんの間に入ろうとしてくれた、長年お世話になっていた方もいたんだけど、そういうことをされるのも物凄く余計なお世話と言うか、鬱陶しくて、それでその方とも距離を置いてしまったくらいでした。
そんな感情的なものもあったし、それに、グラバカを離れて以降の自分の惨憺たる成績があまりにも恥ずかしくて、きっと笑われてるんだろうなっていうのもあったしね。そんなこんなでグラバカや菊田さんとの接点はずっと無かった、というか、作らないようにしていたんだけど、
去年ブラジルで生活していて、日本ではあり得ないような事を色々経験したり、練習以外の時間を、家賃日本円にして13,500円だったボロアパートで一人で過ごしながら色々と考えているうちに、何かそんなことは、もうどうでも良くなってきて。
そんなときに菊田さんから、
「この歳でブラジルまで行ってやっていて羨ましいよ、みんな応援してるから頑張って!」
というメッセージが来てね。
俺もちょうどヒジの手術を考え始めていた頃で、そのことを、同じ手術の経験者である菊田さんに聞きたいと思ったし、それで、俺が帰ったときにはメシでも、という話になり、夏に帰国したときに馴染みの焼肉屋さんで4年ぶりに会い、色々と話をしました。
そのときに、「またいつでも練習に来てよ」って言ってくれたんだけど、ヒジの手術の後しばらくは練習が出来ず、回復後はすぐフロリダへ行ったので、グラバカへ行くことは無かったんだけど、
フロリダで、ブラジルでやっていたような練習が全く出来ず、どころか、蜂窩織炎に掛かって練習どころではなくなり、試合はキャンセルに。そしてそれがなかなか治らず、予定を早めて帰国することになってしまい、
そのときに、Facebookでも色々と書いた環境面含め、このままだと、フロリダで試合に向けた準備をするのは難しいかも知れないなと思い、菊田さんに連絡して事情を説明。フロリダの状況が変わらなかったら、3月になりそうな次の試合への準備をグラバカでさせてもらえないかと相談したところ、快諾してくれました。
というのが、5年ぶりにグラバカで練習をさせてもらうようになった経緯なんだけど、
これだけじゃなく、他にも色々と、今年の活動を前に書いておきたいことがあって。
でも、いつもみたいに長く書いちゃうと、読むのも疲れるだろうし、と言うか、読む気も起きずに読んでもらえないだろうし(涙)、
そして俺も構えちゃって、なかなか書けなかったりするからね。
なので、ひとつの話を一度で全て書こうとせず、何回かに分けてチョコチョコと書いて行こうと思います。
って、この時点で今回も既になかなか長いけど……
夜露死苦押願い致しま忍。