轍の記憶③ ヨシダタクミ (phatmans after school)
タクミ君と出会った頃、まだ彼は帯広在住の高校生でした。
深く関わるようになったのは、それから何年も経った後のことです。
一緒に仕事をするようになって、お互いの第一印象を話したんですが、僕から見たタクミ君は“生意気そうな高校生”、タクミ君から見た僕は“金髪の業界人”だったそうです笑
当時、僕はソニーミュージックというレコード会社で働いていて、Galileo Galileiを担当していたんですが、彼がやっていたUnLimitedは他のスタッフが担当していて、近いようで接点は遠かったように思います。
UnLimitedからphatmans after schoolへと姿を変えて、彼は札幌で出会った新たなメンバーと共にトイズファクトリーからメジャー盤をリリースすることになりました。
同時期に僕はmondaysickの“school”というファーストミニアルバムをリリースして、札幌の某レコードショップでは展開が隣り合っていたので、ある意味、歳の離れたライバルでしたね笑
僕は昔Twitterアカウントを持っていたので、SNS上でのやり取りは多少ありました。
タクミ君から「おひさしぶりです。ヨシダタクミです。覚えてますか?」とリプライがきて、僕は「もちろん、覚えてますよ」と返信した記憶があります。
世の中は狭いというか、不思議なもので、僕のやっていたmondaysickからボーカルが脱退することになり、メジャー移籍の話も消滅して、ありきたりな言葉を使えば絶望していたと言っていいでしょう、あの夏、突然トイズファクトリーのA&Rでphatmans after school担当の方からコンタクトがあり、札幌の石山通沿いのガストで話をさせて頂くことになりました。
ちなみに、あのガストには音楽業界のなにかが潜んでいると聞いたことがあります笑
僕がレコード会社に入社するきっかけとなった面談も同じ店だったんですが、実は夜な夜な業界人とミュージシャンが、夢の世界について熱いミーティングをしているのかもしれません。
phatmans after schoolとは、3年ほど一緒に仕事をさせて頂きました。
札幌時代は、スタジオリハーサル後にメンバーとバスケをしたり、もう脱退してしまいましたが、ドラムのアッツのお母さんが所属するママさんバレーチームの練習に参加したり、ヨッシーとは音楽とミュージシャンシップについて語ったり、ユタニ君とは散々飲み明かしましたね。
プログラミングの生也君も今はメーカーのディレクターになって、気づけば、もう1年近く会えていません。
それぞれの道は分かれてしまうように見えて、そうではなく、大きな幹から枝葉となって伸びていくのだと思います。
タクミ君、コメント本当にどうもありがとう!
http://ame-full-orchestra.futureartist.net/wadaticomment
ame full orchestra
飯濱 壮士
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