WHAT DO YOU SEE(何を如何みるか…)
『誰かを偏見をもってみるよりも
己と正直に向き合ってみることだ』
美しいものには
人を傷つける一面があるなら、
醜いものには
人を癒す一面があるのかもしれない…
外見は内面のあらわれとも言うが、
外側を着飾って内側を覆(おお)い隠す
したたかなくせ者たちもいる。
人は見掛けによらないものである。
生きることはそんな人たちと出会い、
また、考えさせられることでもある。
宗教の定説の様に
善悪を語るのは簡単である。
然れど、人は
論語読みの論語知らずでもある。
すなわち、
言うは易く行うは難しなのだ。
善人などいない。
人はみな心の中に
不義をもって生きている。
どんなに善行を積んでも、
誰もが不義という病に
侵(おか)されている。
THE BIBLEには、
「善人はひとりもいない…
人はみな、罪人であり、
心をしぼればボロ雑巾の様に
汚れが流れでる…」
とある。
己の身の丈(たけ)を知ることである。
「自分を誰かよりも偉いなどと思うな…
へりくだる者に恵みは授けられる…」
と魂のロッカーJESUSも語っている。
どんなに荘厳な建物であっても、
また、どんなに美しい
賛美歌が歌われ様とも、
理想と現実の狭間で
己の不義ゆえに没頭と葛藤を
くり広げるのが人間であり、
信仰者なのである。
ちりあくたに過ぎない者を
顧(かえり)みて、
「お前はわたしにとって高価で尊く、
愛している…」
と語ってくれる、
誠(まこと)にもったいないが
感動してしまうのが、
十字架上であわれみと恵みを
あらわしてくれた存在である。
どうしようもない者が、
しようもない者を見下してどうする…
偽善の衣(ころも)を脱ぎ捨て、
裸一貫、罪汚れた者としての
原点に立ち返る時に、
影が光を暗示する様に、
罪人を赦す存在がいることに
気づかされる。
今日という日があなたにとって、
心の中に気づきが与えられる日で
あります様に…
『己の汚れの奥底に流れている
あわれみを知れ』
アーサー・ホーランド
2017.7.27
『WALK ACROSS KOREA』
無事終了いたしました!
18日間約570kmの行進を終え
無事、坡州市の統一大橋に
到達いたしました。
英語版のFacebookページにて、
行進中にほぼ毎日撮影された
メッセージ動画が
公開されておりますので、
どうぞご覧ください。
「Arthur Hollands」(@ArthurHollandswalk)
Facebookアドレス
https://www.facebook.com/ArthurHollandswalk
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読みどころ満載の内容となっておりますので、
どうぞご覧ください。
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