『RICHLY GIVEN』 (豊かに与えられている)
「与えることは損することではなく、
うちなる豊かさのあらわれ」
「人生、最後に残るものは
集めたものではなく、
与えたものである…」
と語ったのはフランスの詩人
ジュラルド・シャンドリーである。
集めることがいけないのではない…
然れど与えることこそ
尊いことなのだ。
THE BIBLEには
「欲がはらむと罪を生み、
罪が熟すると死を生む」
とある。
天地万物、
そしてあなたを想像された方は
豊かさの源である。
ダビデは詩編の中で
「主(大いなる方)は私の羊飼い、
私はとぼしいことがありません…」
と謳っている。
また
「愚(おろ)か者は心の中で
『神はいない』と言っている」
ということばもある。
ソロモンは箴言の中で
「主を愛(あい)することは知恵の初め、
無知な者は知恵をも
諭(さと)しをも悔る」
と謳っている。
人は大いなる方が
与えてくれた資源の中で
祝福された生活を営んでいます。
たとえ、そこに
お金の流通があろうとも、
原点は祝福をあなたに
出し惜しみなく
与えて下さっている方がいる…
人生はそのことに
気づかされる旅でもある。
あなたには何も無いのではなく、
十二分にあるのであり、
貧しいのではなく
実は余りある豊かさをすでに
所有しているのである。
ダビデの様に
祝福の源なる存在によって
「わたしはとぼしいことがない…」
と言える者は与えることに
喜びを持つ者となる。
魂のロッカーJESUSは
「受けるよりは与える方が幸いである」
と語っている。
与えることは損をすることではなく
得をすることなのである。
ヨハネは
「神は実にそのひとり子(JESUS)を
与えるほどに世(あなた)を愛された…」
と謳い、またJESUS自身も
「わたしが来たのは
あなたがいのちを得、
それを豊かにもつためです…」
と謳っている。
今日という日があなたにとって
与えることの喜びを
味わえる日であります様に…
『与えられている故に
与えることは喜び』
アーサー・ホーランド
2019.3.16
コメント (0件)
現在、この記事へのトラックバックは受け付けていません。
コメントする