『RECIEVE NOW』(今、受け入れるといい…)
「今日こそ心を開く日、
今こそ受け入れる時」
こだわりはあっても、
いこじになっていては
只の自己満足の
意地っ張りでしかない…
己の信じているものに
確信を持つのは素晴らしいことだが、
その確信にあぐらをかいていては
己の成長はそこで止まってしまう…
人は誰であれ地上では旅人である。
それは人生について
学ばされる旅でもある…
一生勉強であり、
死ぬまで成長し続けることである。
悟(さと)ったふりをすることはない…
人はみな罪人
(的を外して生きてしまう者)なのだ…
理想と現実の狭間の中で
理想に到達(とうたつ)できない
未熟な己であることを
謙虚(けんきょ)に受け止めることである。
己の弱さを知ることは
人間としての魅力を放って行くための
大切な要素でもある。
浄土宗には
「直心(じきしん)は菩薩(ぼさつ)の
浄土(じょうど)なり」
という言葉がある。
直心(じきしん)すなわち素直さは
心の中に祝福を得る
秘訣(ひけつ)なのである。
魂のロッカーは
「幼子(おさなご)の様にならなければ
天国に入ることはできない…」
と謳っている。
「天国」また永遠のいのちは
死んだ後(のち)のことがらではなく、
この平和のない忍耐が求められる
娑婆(しゃば)にあって
台風の目の様に心の中に
豊かに体験して行けるものなのだ…
焦(あせ)ることはない…
落ち着くことである。
慌(あわ)てていては
冷静な判断を怠(おこた)ってしまう…
しばし立ち止まって
己と向き合う間(ま)を
もうけてあげるといい…
何かを成し遂げたから
受け入れられるのではない。
たとえ何もできない失敗だらけの
あなたであっても、
あなたは高価で尊く、
愛されているのである。
十字架はその証明である。
THE BIBLEには
「神(大いなる方)は
実にそのひとり子(JESUS)を
与えるほどに
世(あなた)を愛された…」
とある。
今日という日が魂のロッカーに
心を開いて、十字架を通して
あなたに与えられている
無償(むしょう)の愛、
また罪からのゆるし、
そして永遠のいのちを感謝して
受け入れることが
できる日となります様に…
『心を開いて
本質を迎え入れるといい…』
アーサー・ホーランド
2019.6.3
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