『NOT HATE BUT FORGIVE』 (憎しみよりは赦(ゆる)し)
「どんな裏切りも、
根をもたずにゆるせる者は幸いである。
その人の心は平安を得る」
人の不幸を願う
野暮(やぼ)な族(やから)に
成り下がらないことである。
争いごとからは
何の良いことも生まれはしない…
人の幸せを願うことは
己の幸せを願うことへの証明でもある…
人に対して否定的なのは
己に対して否定的であり、
人を羨(うらや)むのは、
己の自信の無(な)さのあらわれでもある…
魂のロッカーは
「できれば、せめてあなたは
すべての人と平和に暮らしなさい…」
と謳(うた)っている。
人を憎む生き方は
あなたの心をむしばむだけである。
たとえ人を愛せなくても、
ゆるして行くことである。
それはあなたの心を癒(いや)し、
健(すこ)やかにする。
ペテロはある時、
JESUSのもとに来て
「主よ。兄弟が私に対して
罪を犯した場合、
何度まで赦(ゆる)すべきでしょうか…
七度まででしょうか…」
と問うとJESUSは
「七度まで、などとはわたしは言いません。
七度を七十倍するまで」
と答えられた。
七は完全数を意味し、
その70倍というのは無限に
赦(ゆる)すことを意味する。
JESUSは後にペテロに語った言葉を
身をもってあらわされるのである…
魂のロッカーは
すべての弟子たちに裏切られ、
また宗教家や、政治家の
陰謀(いんぼう)によって
何の罪も犯していないのに
十字架に架けられて
処刑(しょけい)にされるのである。
その時に十字架の上で
魂のロッカーは
「父よ。彼らを赦してあげてください…
自分が何をしているのかが
分からないでいるのです…」
と祈られたのである。
この十字架にこそ世のすべての人への
赦しが宣言されている。
人間の罪の究極(きゅうきょく)は
人が神を十字架に磔(はりつけ)て
殺(ころ)すという行為を
歴史の中で起こしてしまうのである。
その最悪な行為に対して
JESUSは身をもって、
また自らの犠牲を通して…
そしていのちを懸(か)けて…
最善の行為をもって赦しをあなたに、
またわたしに、そして我々に…
更に世のすべての人々に
与えてくださっているのである。
今日という日があなたにとって
JESUSのあわれみ深い
恵みに満ちた赦(ゆる)しを
己のものとできます様に…
『争(あらそ)うよりは、
その人の幸せを祈る者であれ』
アーサー・ホーランド
2019.6.16
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