『OBSESSION』 (執着(しゅうちゃく)からの解放)
「執着心からの解放の一歩は
間をとって自然と向き合うこと…」
引力の法則は我々を
この地上に引きつけて離さない…
人生50年の時代を生きぬいた
鴨長明(かものちょうめい)も
無常(変化したり、滅(ほろ)ぼしたり、
はかないこと…)の中で
常住(じょうじゅ・変化しないで
常に存在すること…)を得るために
自然と向き合い…
その只中(ただなか)で
己を苦しめる問題は
執着心(しゅうちゃくしん)
であることに気づかされる。
人は誰であれ
執着心にしばられ生きている…
自然体や自由を
切に求(もと)めるが、
それは理想主義的非現実であることを
認識しつつ、それでもなお、
己の弱さと向き合いながら
自分自身の人としての
成長の高嶺(たかね)を目指して
日々、歩んで行くことを教えられる…
己の弱さと向き合うことは
強さへとつながって行く…
己の醜(みにく)さを自覚することは、
すでに天からあなたに与えられているが、
まだ気づいていない魅力に
目覚(めざ)めさせられることでもある。
ピンチはチャンスであり、
絶望は希望への窓口である。
また失敗は成長のもとであり、
己の影(かげ)に気づくことは
己の背後(はいご)に
常に存在する光に
気づかされることでもある。
我々は不完全な人間である…
心は燃えていても
肉体は弱いのである。
答えが頭で分かってはいても
肉体の弱さ故(ゆえ)に
欲にかられてしまうのである。
THE BIBLEには
「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、
おびき寄せられて、
誘惑(ゆうわく)されるのです。
欲がはらむと罪を生み、
罪が熟すると死を生みます…」
とある。
人は己の良心(りょうしん)が
気づかせてくれる真理を無視し、
羽目(はめ)を外(はず)して
脱線(だっせん)してしまうのである。
魂のロッカーJESUSは
「わたしが道であり、真理であり、
いのちなのです…
わたしを通してでなければ
大いなる方のもとに
行くことはできない…」
と語っている。
道を迷うあなたをみどりの牧場、
いこいの水のほとり、
そして魂を生きかえらせて
義の道へとみちびいてくれる方が、
今日もあなたと共(とも)にいることを
忘れない様に…
HAVE A WONDERFUL DAY
『運転のハンドルにゆとりが
不可の様にあなたの人生の旅にも
間を取るゆとりが不可である』
アーサー・ホーランド
2019.7.3
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