『BY THY SPIRIT』 (あなたに働きかける他力のめぐみ)
「今も、これからも、
またいつまでも他力のめぐみは
あなたに働きつづけている…」
儀式(ぎしき)よりは意識(いしき)。
また行(おこな)いよりは
気づきが大切なのだ…
あなたが何かをするから
認められるというよりは
何もしなくても実はもうすでに
認(みと)められている…
故にあなたは
何かをしたくなるのである。
修行(しゅぎょう)したから
悟りを得るのではない…
あきらめるから
あなたは悟りを得るのだ…
「あきらめる」ということばには
ネガティブなひびきがあるが、
「明(あき)らかにきわめる」
ことだと受け止めてみるといい…
親鸞(しんらん)は
比叡山(ひえいざん)の山奥で
悟(さと)りを開こうとしたが
難行苦行(なんぎょうくぎょう)の
努力をすればするほど
己の理想とはうらはらに
現実はその理想にたどりつけない
己の弱さに気づかされ
「自分の力では
悟りを開くことはできない」
と悟るのである。
己の弱(よわ)さを認めたことが、
その弱い己に歩みより、
手を差し伸(の)べてくれている
慈愛(じあい)にとんだ
あわれみ深い存在がいることに
気づかされるのだ…
慈愛にとんだ存在と宗教とは
違(ちが)いがある。
宗教(RELIGION)とは
人が神に自力で近づこうと
努力することである。
しかしあわれみ深い他力なる方は
あなたに歩み寄(よ)り手を差し伸べ、
よりそってくださる存在なのだ…
人がつくりあげた宗教(しゅうきょう)と
天地万物また人を創造(そうぞう)された
大いなる存在とは違うことを
我々は知ることである。
宗教は偽善者を生み出すが
七の七十倍、
すなわち無限に
赦(ゆる)しを与える方は
自らを犠牲(ぎせい)にして、
我々を救う方なのだ。
魂のロッカーは
「わたしが来たのは
正しい人を招くために
来たのではなく
罪人を招くために来たのだ…」
と謳っている。
また、THE BIBLEには
「JESUSが友(あなた)のために
命を十字架の上ですてるという…
これよりも大きな愛は
ほかの誰にもありません…」
とある。
今日という日があなたにとって、
もうすでに愛されていることに
気づける日であります様に…
『行いではなく、
他力のあわれみ故に救われる』
アーサー・ホーランド
2019.7.4
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