『REALITY』 (現実)
「弱さを認めることは強さを身につける秘訣。」
親切な思いはよぎっても、不親切な行動をしてしまう己がいる。
手を差し伸べることの大切さを知っていても、人を踏み台にして生きる己がいる。
THE BIBLEには
「心は燃えていても肉体は弱いのです。」
とある。
パウロは
「良いことをしたいと願う己がいるのに、
そうではない悪いことを行ってしまう自分がいる。」
と語っている。
理想と現実の狭間で人は没頭と葛藤を繰り返し、
理想はわかってはいても現実の中で
醜い己の姿を垣間見せられず、弱い己を見てみないふりをするのではなく、
正々堂々と罪深い己と向き合うことである。
魂のROCKERは
「医者を必要とする者は健康なものではなく、病人である。
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来た。」
と謳っている。
「しかし私たちがまだ罪人であった時に、キリストがわたしたちの罪のために
(十字架の上で)死んでくださったことによって神はご自身の愛を明らかにされた。」
ともある。
罪とは古代ギリシャのアーチェリーの競技からきた言葉でハマルティア、すなわち
矢が的を外した距離を測る言葉として用いられている。
罪、とは的外れ、本質からぶれて(離れて)生きていることを意味している…
人間は誰であれ罪人なのである。
親鸞は、
「人は愛欲の大海に沈没し
名利の大山に迷う…罪業深重の凡夫である。」
と語っている。
義人、善人などいない。人は理想の的を外して生きている。
大事なのはそのような弱い己に気づくことである。
影が光を暗示するように己の弱さを認める者こそ、恵み深い神のあわれみが注がれていることに
気づけるのだ。
今日という日が弱い己をあわれみをもって見守ってくれている
恵み深い存在が傍にいることに
気づける日となりますように…
「理想と現実の狭間でもがく己と向き合えばいい…」
2020年 1月 16日
アーサー・ホーランド
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