「しばし立ち止まって静寂に浸る(ひたる)といい。」
慌てふためく必要はない…
「落ち着いていいんだよ…」、と己に優しく語りかけてやることである。
焦っていては判断力も鈍り、誤った決断を下してしまう…
じっくり、またゆっくり取り組めばいい…
はやる気持ちに対して「大丈夫…一歩一歩…今のこの瞬間を味わい楽しめ…」、
と言い聞かせてあげることである。
忙しく給仕をするマルタは、何もせずに落ち着いてJESUSの足元に座って、
話に聞き入っている妹マリヤに妬み(ねたみ)を覚え、
「マリヤに私に手伝うように言ってください…」と訴えた。
魂のROCKERはその訴えに対して、
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
しかし必要なことは一つである。
マリヤはその良い方を選んだ。それを彼女から取り上げてはならない。」
と答えられたのである。
THE BIBLEには
「旅人をもてなすことは天使をもてなしていることに等しい。」とある。
もてなすことは仕えることである。
それは奉仕することでもある。
神ご自身がJESUSをとおして我々の罪を贖い(あがない)、赦すために十字架に
かかってくださったことは最高の愛のおもてなしなのである。
「あなたが偉くなりたければ仕える者であれ。」とJESUSは弟子たちに教えている。
JESUSの愛の行為、その恵みゆえにあなたは罪赦され、義とされたのである。
それゆえに、もてなしを受けた者がもてなしを施すものとして
全世界に出て行くことは尊いことである。
されどいつの間にか仕える喜びを失い、「しなくてはならない…」というジレンマにとらわれるために恵みによるおもてなしが偽善になってしまうならば、そこに苦痛はあっても、喜びはなく、嘆きはあっても、楽しみは失われてしまう…
それはJESUSの恵みから離れて、己の自力のみによって善行を行うのに等しい。
マリヤがJESUSの足元で話に聞き入っていたのは、その恵みに浸って、その教えを臨在の中で
学んでいたのである。
詩篇の詩人は
「静まってわたしがあなたを愛してやまない神であることを知りなさい…」
と謳っている。
願わくば、人に仕える原動力を、身をもって仕えてくれたJESUSの恵みによって
得ていきたいものである。
今日という日が忙しさの中にあってもしばし静まり、沈黙の中でJESUSの恵みに浸る
一日でありますように…
「しばし、静かなひと時の中で天地万物を創造した、大いなる方の恵みにとどまれ。」
2020年 1月 17日 金曜日
アーサー・ホーランド
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