『PRAYER』 (祈り)
「膝をかがめ祈るものは、勇気を持って立ち上がる。」
何もしないで祈るだけではただの都合のいい神頼みでしかない。
祈りは本来、信仰の表現である。
「信仰」とは「信じ仰ぐ」と書く。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉にもあるように、
何もしないで人、また神任せでは人生を前向きに生きているとは言えない。
鮭が逆流を登ってぼろぼろになりながらも、新たな命を生み出すように…
必死に生きるとは全身全霊で生きることを言う。
一粒の麦から豊かな実を結ばれた魂のROCKERは、
「わたしはよみがえりであり命です。
わたしを信じるものは死んでも生きます。
また生きていてわたしを信じる者は決して死ぬことはありません。
わたしがきたのはあなたが命を得、またそれを豊かに持つためです。」
信仰の創始者であり、また完成者である創造者は
自らが人(JESUS)となって、この世に来られ、われわれの罪を赦し、
豊かな命を与えるために十字架にかかってよみがえってくれたのである。
それは本来神に創造されたあなたが傑作として、また粋な存在として
生きていける道を切り開いていくためなのだ。
だいじなのは宗教的に生きていくことではなく、
命の源である本質を意識して
生きていくことである。
それは何もしないことではなく、天から授かっている己の可能性を
表現して生きていくことなのだ。
否定的になるのではなく、良いことも、悪いことも、
全て万事を益にしてくれる方を心に据えて
己のできる限りを通して
感謝の気持ちをあらわしていくことである。
THE BIBLEには
「行いのない信仰は死んでいるのです。」
とある。
祈りは見えない存在の魅力を見えるあなたの行き方を通してあらわしていく
原動力である。
「神よ。
変えられないものを受け入れる平静な心と、
変えることができるものを変える勇気と
その二つを見分ける知恵をわたしに与えてください。」
と捧げられたニーバーの祈りを心にとめたいものである。
今日という日があなたにとって
祈りに答えを見い出させてくれる存在を
信じることができる日となりますように…
「真の祈りはあなたもまわりも変える。」
2020年 3月 7日 土曜日
アーサー・ホーランド