『DEDICATE』 (捧げる)
「CONNECTION、関わるだけでなく、DEDICATE、自らを捧げる者であれ。」
誰かとのCONNECTION(関わり)は己の都合によってどうにでもなる。
されどDEDICATION(献身)は都合の領域を超えて自らを捧げる者とする。
魂のROCKERは
「仕えられるよりは仕える者のほうが幸いである。」
と謳っている。
受け身になるよりは行動する者であれ。
「人生最後に残るのは集めたものではなく、与えたものである。」
とジェラルド・シャンドリーは語っている。
どれだけの愛を人生において集めたかよりも、
どれだけの愛をあなたが与えたのかが最後に残るのである。
THE BIBLEには
「一粒の麦が地に落ちて死んだがゆえに多くの実を結ぶ…」
とある。
収穫の背後には地に落ちて自らを捧げて犠牲となった一粒の麦(種)
があることを忘れてはならない…
GOSPELには
「人(JESUS)が友(あなた)のために命を捨てるという、
これよりも大きな愛は誰も持っていません。」
と語っている。
神(大いなる存在)は人(JESUS)となって
人間味をあらわせないで生きているあなたともとに
友となって献身的に仕え、罪がもたらす
束縛から解放するために命をかけて十字架にかかってくれたのだ。
「十字架の言葉は滅びる者にとっては愚かであっても
救いを受け入れる者にとっては神の力です。」
とある。
愛という言葉が初めて入ってきたときに明治の文学者二葉亭四迷は
「あなたのためならばわたしは自分の命を捨ててもいい。」
と訳した。
愛は背き(そむき)の罪を覆い(おおい)、
罪なき方JESUSは罪人の我々のために
自らの命を捧げてくれたのである。
今日と言う日がその無償の愛を感じられる時となりますように…
「献身によってあなたは贖われる(あがなわれる)。」
2019.12.13
アーサー・ホーランド
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