『MERCY UNLIMITED』 (尽きることのない憐れみ)
「憐れみ深い者は幸いである。その人は憐れみを受ける。」
はやる気持ちに流されないことである。
慌てふためいては知恵ある判断を怠ってしまう。
まわりを見ているだけでは、感情に流されてしまう。
焦る気持ちをなだめるにはしばし立ち止まり、
己の心を落ち着かせることである。
大変な時にこそ自分のことは自分で責任をもって
行動することである。それができるのはあなた以外にはいないことを
自覚することだ。
ドストエフスキーは
「人は何においても慣れる存在である。」
と語っている。
慣れ親しんだ習慣は困難があると
不自由な思いであなたを苦しめることがある。
そんな時は誰であれ何をどうすればいいのかが
わからなくなってしまう。
そして己の心の奥底にずっと眠っていた、「自分はどこからきて
一体どこにいくのだろう…何のために生きているのだろう…」
という素朴かつ深い疑問に目覚めさせられる。
魂のROCKERは
「人にしてもらいたいことを人にもしてあげなさい。
あなたの神(大いなる存在)が憐れみ深いように、
あなたも憐れみ深い者になりなさい。」
と謳っている。
人が他人に対して何をしてよいのかがわからないのは
自分にとって何が最善なのかがわからないからである。
己がわかっていないことを人にしてしまうのは
本質を見失って生きているからである。
頑張れと言われても頑張れない人がいる。
「なんでこんなことができないのか」としかられても
できない人はいる。自分ができるからと言ってまわりの人が
できるとは限らないのだ。
THE BIBLEには
「愛はそむきの罪を覆う。」
とある。
本質を見失って生きることを聖書はギリシャ語で
「ハマルティア」、すなわち「的外れ」という。
これが罪という言葉の由来である。
人間は本質とのつながりがブレているゆえに
人との関係にもブレが生じてしまう。
パウロは
「本質の愛は寛容であり、親切です…
全てを我慢し、期待し、耐え忍びます…
また、決して絶えることがありません。」
と語っている。
心のブレを修正できず人を傷つけてしまう我々を
憐れみといつくしみをもって今日も寄り添ってくれている
存在があなたと繋がっていることを忘れないように…
JESUSの十字架はその証しである。
今日という日が、あなたを憐れんでくれている本質と繋がっていることを
体験し、その憐れみを他の人に、あなたの生き方をとおして、
現せる日となりますように…
「自分にしてほしいことを人にしてあげよう。」
2020年 4月 9日 木曜日
アーサー・ホーランド
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