IT’S OKAY(まあ、いいから…)
『問題の只中に真理の光は見出せる』
予期しなかったことや
想像もしなかったことが
起きてしまうことだってある。
それが喜びおどることであればいいが、
そうではない
落ち込んでしまう様なことならば、
気は滅入ってしまう…
二本の藁(わら)が交互にねじられて
強い縄となって行く様に、
「禍福は糾える縄の如し」
ということわざがある。
幸福と不幸が
入り混じって起きてしまうのも、
これまた人生である。
勿論、その中には、
「自業自得」と言われても仕方がない様な
自分が蒔いた種によって刈り取る
如何し様もない問題もあれば、
誰かのあなたに対しての
不条理な行いによって起きてしまう
「どうして…、なんで…」
という問題もある。
真面目に生きていれば、
何も悪いことが己の身に起こらない
とは言えないのが浮世の生活でもある。
「俺は何も悪くはない…
相手が仕掛けた問題だ…」
といって裁判沙汰になることさえある。
「正直者はバカを見る」
ということわざにもある様に、
ずる賢い者は
上手く立ち回って得(とく)をし、
正直な者はルールを守る真面目さ故に、
かえって損(そん)することがある。
THE BIBLEには、
「何をするにも大いなる方の
栄光のためにすることだ…」
とある。
昔の人は口ぐせの様に、
「お天道(てんとう)様が見ている…」
とよく言っていたものだ…
問題のない人生などない。
あなたやわたしが生きているだけで、
問題は起ってしまうのである。
「すべての人は罪を犯す罪人である…」
とバイブルにある。
人は誰であれ、みな大いなる方の
愛の的から外れて生きている。
要するに、心のぶれを持っている。
自分の心にぶれがあるが故に、
人との関係に於いても
ぶれを来してしまうのだ。
「しかしわたしたちがまだ
罪人であった時に
JESUSがわたしたちの罪のために
十字架に架かって
死んでくださることによって
大いなる方は
御自身の愛を明らかにされた…」
ということばもある。
己を許し、
また、となり人を許して行くには、
「JESUSが友(あなた)のために
いのちを(十字架の上で)捨てるという
これよりも大きな愛はない…」
ということを受け止めることである。
今日という日があなたにとって、
JESUSのあなたへの十字架の愛が
心に満ちあふれます様に…
アーサー・ホーランド
2017.1.21
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読みどころ満載の内容となっておりますので、
どうぞご覧ください。
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