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被災地に行って感じた事。

皆さん、こんにちは。
 
 
 
25・26日に支援物資を8箇所の被災地や避難所に無事届けさせて貰い、戻って参りました。
 

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①福島県グループホーム
こいのさと
 
 
②福島警察署
 
 
③宮城県名取市
市立名取第二中学校
 
 
④北日本電材株式会社
 
 
⑤協和運輸倉庫
 
 
⑥ケイセンタケダ
 
 
⑦多賀城総合体育館
 
 
⑧松島P&G海洋センター
に行って来ました。
 
 
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特に塩釜から多賀城・松島の海岸沿いが、物凄い津波の被害を受けていて、テレビや新聞等の報道よりもはるかに過酷な状況でした。
 
 
 
家屋は流され、信じられない形で車やクルーザーが道路上に散乱していて、ありとあらゆる物が津波によって流されていました…。
 
 
 
また凄く臭かったです。
 
 
 
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最後の松島に着く頃は、夜中の12時近くで、真っ暗な海沿いの道路を通過する時は、
『今、津波が来たら確実に死んでしまう!』
という物凄い恐怖を感じました。
 
調度余震で震度4がきた時だったので本当に怖かったです。

 
当日の被災地の皆さんの恐怖を思うと、痛たまれません。

 
生涯忘れる事ができないショックが身体に染み付き、傷を背負って生きていかなければなりません。心のケアも、一時的な事でなく、国がしっかりサポートしてくれなければ難しいと痛感しました。 
 
 

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回った先々で、被災者の方々と話ができ、今の現状や不便な事などを知る事が出来ました。
 
 
 
被災者の皆さんが話して下った様に、、、
そして僕も被災地で一番感じた事は、とにかく食料・お水・毛布や防寒着が、今を乗り越える為に、早急に必要な物だと心底感じました。
 
 
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ユニクロの社長さんが個人資産の10億円を義援金として寄付されたと報道されていましたが(凄い額!)、そのお金で、フリースやヒートテックという世界に誇れる素晴らしい商品を準備すれば、被災者の皆さんが、今の震える程の寒さを乗り越えられると感じました。
 
 
 
物資を届け終わったのが深夜だった為、仙台市内のホテルに泊まりました。
 
 
 
勿論、ライフラインは復旧していないので、お風呂も入れず暖房もありません。
 
 

部屋の中は物凄い寒さで、持っている衣類を全て着込み、掛け布団に包まりましたが、寒過ぎて寝ることができませんでした。
 
 
 
重労働の後で、身体は疲れているので、わりとどんな環境でも眠れるものですが、そんな身体の状態でも寒過ぎて眠れないんです。
 
 
 
被災者の皆さんは、ベッドや布団もなく、毛布一枚で毎日過ごしているわけですから、言葉では言い尽くせない程の苦痛の中、堪え忍んでいるんだなぁと思いながら、朝が来るのを待ちました。
 
 

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胸が痛すぎて、本当に辛くて言葉を失う思いで、3人で被災地を回ってきました。
 
 
 
そんな中、被災者の皆さんの笑顔がみれて本当に嬉しかったです。


 
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また、50代くらいの女性の方が、『どうも有難う。こうして来てくれて本当に嬉しいです。一時だけでも、この時間だけ、辛さを忘れることができます。』と涙ながらに言って下さいました。

 
 
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こうして支援物資をトラックで輸送するのは今回で3回目です。
 
 
 
アスリートジャパンの高津社長を中心に、さまざまな競技のアスリートの皆さんと協力しあい、沢山の物資を届ける事が出来ました!
 
 
水素水30000本
マスク200000個
グミ  20000個
カップヌードル5000個紙オムツ1000着
お菓子200箱
洋服300着
下着4000着
パン350個
を届けさせてもらいました。
 
 
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まだまだ被災地の方々は物凄い寒さに耐え、1つのおにぎりを皆で分けあったり、薬が無かったり、子供のミルクが無かったり、とにかく今を生きぬくのに精一杯な状況です。
 
 
 
失ったものがあまりに多すぎます。
前だけをみて進まなくてはならない。と、頭ではわかっていても、心は追い付かないと思います。


 
また現実を突き付けられ、希望をどう見出だしたらよいか不安ばかりが募り、被災だけでなく今後の生計への苦しみとも闘わなくてはなりません。
 
 
 
被災者の皆さんの立場に本気でたち、国をあげてしっかりサポートしていく事が、被災者の皆さんの不安を少しでも取り除いていけるすべだと思います。
 
 
 
今回被災地に行った事で、テレビや新聞の情報よりも、はるかに過酷な状況である事を痛感しました。
 
 
 
被災者の皆さんが少しでも元気になれる様、また提供させて貰いたいと考えています!
 
 
 
苦しさの中で、何とか皆で手を取り合い、必死に、そして生きる為に精一杯頑張っている被災者の皆さん、どうか気持ちを切らさずに、この危機的状況をなんとか乗り越えましょう!
 
 
 
僕も出来る事を、これからも精一杯やらさせていただきます。
 
                 
 
今回の被災で亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
 
 
 
あつ

コメント (17件)

  1. おあああああ!
    来ていただいたということ知って元気でました!

    ありがとうございます\(^o^)/

  2. あつさん
    お帰りなさい。お疲れ様でした。 被災地にかけつけてくれたと知った時は、さすがだなぁ・とあつさんの優しさを知ってるファンとして、嬉しくなりました。被災地の方々が、心から安心出来る生活ができるようになるのには、計りしれない年月や沢山の支援が必要だと思います。
    私も微力ながら、自分に出来る事をしていきます。
    あつさんのブログを読んで、改めて勇気と元気をもらいました・・ありがとうございます

  3. あつさんお疲れ様でした!

    人知れず行動してくださるあつさん。
    サッカー選手時代の影の力、そのものですね!!

    アメブロをやっているのですが、そこで、少しだけあつさんの今回のこと、紹介させていただきました。

    事後報告になってしまってごめんなさい。

    これからも、皆さんを励ましてあげてください!!

  4. 三浦さんの大ファンです^^
    いつも応援してます。
    今回本当にお疲れ様です。

  5. 淳さん~
    感動そのものです^@^
    後二人の方も凄いですね!

  6. アツさん最高!子供出来た奥さんの心も素晴らしい!!

  7. お疲れ様でした。被災された方の心にはきっと忘れることのできない、アツの優しさが伝わったと思います。

    東北復興のために僕も家族・友人と力を合わせて微力かもしれませんが、頑張っていきたいと思います。

    支えあう心を忘れず、毎日を大切に。日本がひとつになって頑張るしかない、きっと立ち上がれる。

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三浦淳寛プロフィール

プロフィール画像

三浦淳寛(みうらあつひろ)
ニックネーム:アツ
生年月日:1974.7.24
身長・体重:175cm 74kg
出身地:大分県大分市
特技:フリーキック

【ユース経歴】
1984年 - 1986年:大分市立明治北小学校(明治北SSC)
1987年 - 1989年:大分市立明野中学校
1990年 - 1992年:長崎県立国見高等学校
1993年 - 1994年:青山学院大学

【プロ経歴】
1994年 - 1998年:横浜フリューゲルス
1999年 - 2000年:横浜F・マリノス
2001年 - 2004年:東京ヴェルディ1969
2005年 - 2007年8月:ヴィッセル神戸
2007年8月 -2010年 :横浜FC

【日本代表歴】
2000年 シドニーオリンピック

試合数
国際Aマッチ 25試合 1得点 (1999年 - 2005年)

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