ヘンゾ・グレイシーを判定で下し、
PRIDE初勝利を飾った大山さんの
次の相手はヘンゾの実弟、
ハイアン・グレイシーでした。
「グレイシー一族最”狂”の喧嘩屋」との
異名を持つハイアンは試合前から大山さんを挑発。
一触即発の遺恨試合は
名古屋レインボーホール(当時)で
開催されたPRIDE22の
メインイベントとして行われました。
果し合いの様相を呈したこの試合、
勝利したのはハイアンでした。
1R1分37秒。
大山さんはハイアンのアームバーで右腕をへし折られ、
試合後に罵声を浴びせられるという屈辱を味わわされました。
素人目で大変失礼ですが、この試合、
僕は大山さんがヘンゾ戦の様に慎重に運んでいれば
十分に勝てる試合だと思っていました。
しかし、前回のヘンゾ戦で勝利したにも関わらず
厳しい評価を受けた大山さんは”プロ”として
アグレッシブな試合を選び、敗れたのだと思います。
当時はK-1ファイターの武蔵選手も
海外の強豪をやぶりながらも
そのテクニカルな試合運びを
判定狙いの消極的な試合だと批判されていました。
素人が野球を観戦していて、
何でこんなの打てないんだ!とか、
サッカーで、あんなシュートも決められないのか?!と
クダをまくように、多くの方が娯楽として
格闘技を楽しんでいる時代でした。
メジャーになるとはこういう事だとは思うのですが、
選手にとっては厳しかったのではないでしょうか。
(もちろんそれに見合った知名度や収入もあったでしょうが)
選手の体調よりも興行を優先する事が当然。
勝敗よりも盛り上がり。
壊れても、代わりはいくらでもいる。
そんな風に感じました。
その後、ハイアンに折られた右腕が不完全なまま、
短い準備期間で臨んだダン・ヘンダーソン戦でKO負け。
以前とは逆、左目の網膜剥離を発症。
ここでも挫けずに再びリングに戻るも、
復帰戦の相手は全盛期のミルコ・クロコップ。
ナチュラルウエイトで20㎏近く上回る相手に
なすすべもなく1分でKO負け。
むちゃくちゃです。
どうしてこんなカードを組むのか、
そしてなぜ対戦を受けるのか、
僕には理解出来ませんでした。
当時、PRIDEヘビー級王者の
エメリヤーエンコ・ヒョードルに
挑戦するためにハイペースで
試合をこなしていたミルコ・クロコップの
かませ犬じゃないかと感じ、腹が立ちました。
僕は、もっと身の丈に合った
相手との試合が観たいと思っていました。
例えば、田村潔司選手、菊田早苗選手、
小路晃選手、郷野聡寛選手などとの試合が組まれれば
非常に面白かったのではないかと思います。
しかし、選手も、世間も、
日本人対決を望んでいませんでした。
ミルコ戦の後、PRIDEを離れた
大山さんはK-1のリングへ。
ハワイで開催された大会で198cm・125㎏の
元プロレスラー・ショーン・オヘアと対戦。
(大山さんは178cm・85㎏)
開始30秒でKOされた
大山さんは、引退を示唆しました。
~まだ、つづく~