第2話 ナルシスト野郎のきっかけ。
上京物語 2話
僕は上京する新幹線の中で色んな事を考えていた。
有名になったら、街とか歩けなくなるのかな〜?とか、サインとか書けるようにならないといけないなぁ〜?とか。…
…痛い田舎者の典型である。。。
もちろん、それから長い年月を過ごし街の中では今だに誰にも声をかけられない。
サインをする時はゆういつ郵便物を受け取る時だけだ。
でも、その時のアホ丸出しのナルシスト野郎のお陰で今があると思えば愛おしくもある。
今だに残念な自分バカであるのは否めない。
じゃあ、何故?何もやった事のない田舎者がそんなに自分に自信があったのかを、改めて思い出しながら考えてみた。
自信①
幼少期、学生時代から何もさえなかったからであると思う。
まずは、頭は悪かった。正確にはテスト等では結果を残せずにいた。
学校の先生になりたかった頃もあるので勉強はしていたつもり。
ちなみに中学時代は田舎だったので学年は一クラスしかなく20人しかいなかった。
その中で成績は平均16〜19番目だった。
でも、この頃の僕は15番目まではなんちゅう天才の集まりなんだと思っていた。様な気がする。。。
そう、井の中の蛙状態。無知。滑稽すぎる。
そして、高校受験の時に担任から『進学校の普通科は無理!』とはっきり言われた。
それを横で聞いていたオカンを可哀想に感じた僕は他人事の様に受け入れていた。
『とりあえず、工業高校。』と言われた。
この工業高校に通う事になるのだが、最初の英語の授業は《カメラ》を英語で書きなさい。だった。
僕はもちろん迷わずに《KAMERA》と書いた…
正解は《CAMERA》である。
僕はその時に中学時代の恩師に『無理!』と言われて工業高校を受験させてくれた事に心から感謝した。
僕は分かりやすくシンプルに”バカ”だった。
でも、駄目な自分を受け入れる事自体には才能があったと思う。
勉強は駄目でも運動は…。
これも残念ながら、神は才能を与えてくれなかった。
中学時代は田舎の中学校でバスケ部しかなくてしかも強制だった。
身長145cmしかなかった僕にはリスクが高すぎた。
周りの仲間は成長期を迎えグングン身長が伸びていく中。僕は縮んでいった。とさえ思うぐらいに置いてきぼりにされた。
あまりに成長しないから、保険の先生に呼ばれてホルモンバランスなどを調べる為に大きな病院を紹介された。
その病院での出来事は《すべらない話し》として、今度改めてお話ししよう。
簡潔に言うと一応僕は思春期真っ只中。
僕の睾丸を人生で初めてもみくちゃにされた相手が男の医者である…。。。
笑い話ではあるが、当時の僕はなすがまま、なされるがままに天井を見上げていた。
ただ、僕がこの体験をきっかけに男性に目覚める事はなかった。
昔も今も女性しか愛せない。
少し話がそれたが、僕は小学生の時もかなりの問題児であった。
あまり、それをここで具体的に書くと僕の両親があの頃の事を思い出して残念な記憶に泣きだしそうだから止めておこう。笑
…やっぱり書きたい。
今笑い話にならなければ、それこそ本当にお蔵入りになってしまい無念さだけが残る気がする…
今度改めてそれも書こうと思う。
本題は《何故、僕に自信がついたか?》だったが。
要は幼少期時代に何も燃えてない、からである。
何もやり残してない。
何も本気出してない。
何も発揮してない。
何も燃え尽きてない。
からである。
何も力を出した感じがなかったからこそ、僕は自分の可能性に未知だったのである。
未知?…
無知だったが、正しい表現かもしれないが。
もちろん、勉強も部活も手は抜いてない。
必死にやっていたと思うけど、輝いてはいない。
小学生の時も地域のソフトボール部に参加していたが、ピッチャーをやりたいと駄々をこねて、試合中に泣き崩れる。
泣きながらサードを守っていたら、どこからともなく僕の親父が出てきていきなり僕に”往復ビンタ”をかました。
『黙れ、小僧!!!』…美輪さん?
九州男児の親父の怒号がグラウンドに響いた。
グラウンドが静まり返った。。。
あの時の親父の心境はすごくわかる気がする。
僕の息子がいたとして、同じ状況ならソフトボールを辞めさせてるかもしれない。
ちなみに僕は人生で親父に300回以上は愛の鞭を受けていると思う。
その親父の選択は正しかったし今は感謝しかない。
こんな僕にありがとうございます。m(_ _)m
弟が2歳下にいるが、僕が試合中に泣き崩れた時には弟の心境として。
『弟として本当に恥ずかしかった。』と名言を残している。
ちなにそれ以外にも、この名言は幾つも聞いた。笑
弟には残念な兄貴な姿をたくさん見せてしまった。
申し訳ないと反省してますm(_ _)m
ちなみに注射をする時は大人になった兄は泣かなくなりました。笑
ちなみに弟はソフトボールでは、他のチームから誘われ全国大会に出場するほどの腕前だった。
僕と同じ高校に入ってバスケ部だったが、キャプテンを務めるほどに運動の才能があった。
僕は高校時代はサッカー部だったが、もちろん補欠で試合に出た事はない。と言うか、遠征や試合などのメンバーにも選ばれた事はない。
僕が成人してから、僕のオカンが僕に
『高校時代は部活は何をやっていたの?』
と突然聞いたことがある。
僕はこの質問には笑い転げた。
三年間毎日サッカーをやってどれだけ、輝いてないんだよって!
それなのに僕の汚い練習着を毎日洗ってくれてありがとうございます。m(_ _)m
自信①
◎結論
燃えてないからこそ、まだまだ燃え尽きる自信があった。
つづく。
※僕の尊敬するオトンとオカン。
画像をアップする許可を取ってないため、顔にボカシをいれてます。
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