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大切なあなたへ。(タイトルきもい)

3年前に神様を信じることを辞めました





神頼みとか



願掛けとか




そーゆうことを一切しなくなりました。



信じるのは己だと。






2年前に、会社に行ったらすっからかんで、電話機と本棚に1冊、私たちの給料明細がファイリングしてあったのだけ残ったまま



会社が夜逃げしました。





冗談かと思ったけど



現実でした。




1月末か、2月頭のことだったと思う。



その2週間前に、




兄貴が末期ガンになりました。



メンバーミーティングの最中の親からのLINEで



「え?兄貴がガンらしい」



まるで他人のゴシップのような感覚で、きたラインをそのまま声に出してしまった。



そこに「リアル」はなかった。1mmも。



ただ、事務所を出てから表参道駅に歩いてる時にパニックになって


三上に電話した。



三上も電話越しに泣いてた。



嗚咽が出た。




実家に帰ったらそわそわしてた


全員。




理解できてない感じだった。

私がそうだから。





それが2016年1月20日くらいのこと。




ガンでヤベーっすってなっても、


ガンの病院はすごくいっぱいで、診察も2週間待ち。




時間がなかった。



兄貴がガンになっても、私が実際出来ることはあまりなかった。

家族で本を買い漁って、ググって、薄っぺらい知識を脳みそに入れるだけ。




兄貴に



「ググったよね」


って聞いたら、



「まぁ、そりゃな」



って答えてた。





兄貴のお腹にはもう腹水が溜まってて、


それは末期ガンの人の特徴だから、




兄貴はわかってたんだと思う。





でも、私たちは根拠のないまま、「奇跡」を信じた。




それは簡単に打ち砕かれたけど。



こんなあっけなく闘病生活は終わるなんて誰も思ってなかった。



その翌週




事務所が空っぽになった。





呪った。




神を。






私が責任を追う理由なんてなかったんだけど、

GLのメンバーと須賀ちゃんは私が前の事務所を辞めた時に連れてきた子だから



連れてきた子の旅立ちまでの責任を取らないけないだろって普通に思って

新しい事務所の引き取り場所を探したのが2月頭のことだった。



新しい事務所と兄貴の治療場所を求めながら変わらずライブ活動をしていて、その時1stシングル「流星のワルキューレ」を作ってた。



CDなんて出したこともないし、やり方もわからないし、本当に意味がわからない毎日だった。



引き取ってくれる事務所は見つからなかったけど、「愛夢GLTOKYO」も、「須賀葵」もこのまま終わらせたくなかった私。

その時はGLは今よりしんどかったよね。金銭的にも。

須賀はまだDVDすら出てなかったっけね。



全てが掛けだったけど、事務所を設立することにした。



コツコツ貯めた70万で、みんながもらえるはずだった給料をあげた。

(これは夜逃げした事務所を未だに恨んでいる)


あとは、いろんなものを売って、金を集めて設立資金・・・いわゆる資本金も、

なんとか調達した。親にも借りたけど(もう返した偉い)


司法書士とのやりとりは意味わからなかったけど、会社はなんとか作れた。



それが2月20日だった。



兄貴は築地の国立がんセンターに入院が無事決まって、闘病生活をしていた。


最初に起きたのは




「糖質摂取の拒否」



だった



兄貴は食べたがらなかった。


糖質がガンのガソリンになってしまうから。

(ざっくりな話だから、治療とかガンに関してのツッコミしないでね)


先生も、家族も体力つけろってなんども言ったけど、

兄貴は食べることを拒んだ。



178センチ、90キロくらいあった大柄の兄貴は、


交通事故で車の下敷きになった人のために、車を持ち上げられるくらいの人だった

(スーパーマンみたいでしょ)



その兄貴が今は病院の狭いベッドで寝て、病院食を拒んでる姿は



苦しかった。




ただ、苦しかった。




あれは、確か秋葉原でライブをしていた帰りに、病院に行く約束になってて、



「寿司がくいてぇなー、買ってきてくれよ」


って連絡があった



私は嬉しくて嬉しくて嬉しくて、回転寿司で兄貴が好きなネタをたくさん買って持ってた。



兄貴が食事を再開してくれた。



いつもの兄貴の量では全然足らないはずなのに、


それでも残して



「あとは食っていいよ」



って私に渡してきた。


私は



「やったぁ!!」


って言いながら、残ったネタを食べたけど




笑いながら泣いてしまった。

本当はすごく嫌だった。食事に遠慮するような、そんな兄貴を見たくなかった。


「早くいっぱい食べれるように元気になろうね、じゃないと私がどんどんおっきくなっちゃうよ」

(いや、こっから私は激太りするわけで)



夜家族のLINEに病院食の完食の写メと


「今日からしっかり食べて戦う」


って報告がきた。




嬉しかった。




そんなわけで、2月頭に兄貴の入院、会社の設立、CDの制作の


トリプルパンチで私はテンパってた。



病室に入るだけで涙が出ちゃうから、


病室に入らないでパペットマペットを使って兄貴に話しかけたことがあったんだけど、


「全然面白くねーからやめろ」


って普通にキレられた。



面と向かって会うと涙が出てしまう、どうしようも止められなかった。

兄貴の方が辛いのに、会えば涙は止まらなかった。



兄貴には妊婦の嫁さんがいて


3月出産予定だった





だから、私は改めて神様が大嫌い。

信じなくなった。

奇跡とか、運命とか、偶然とか

そんな偶像が大嫌いになった。





3月11日兄貴の子が生まれた。


兄貴は立会いに行ったけど、熱が出ちゃって別室に隔離されてしまった。

でも、兄貴の血を受け継いだ子は無事に生まれた。



私は3月上旬に花粉症から咳喘息を拗らせて、なかなか病室に行けなかった。

ラインではやりとりしてたけど、



3月14日


家族のLINEに兄貴とお父さんとお母さんが兄貴の大好きな牛丼を頬張る写真を送ってくれた。



私は兄貴にLINEした




「最近喘息が出て会いに行きたいけどなかなか会いに行けなくてごめんね、私ね、兄貴のことが大好きで、妹に生まれて幸せだよ」




兄弟にしてはゲロ吐くぐらい気持ち悪いLINE。



「早く治して会いにきてな、俺も会いたいぜー!」



それが最後のLINEだった




夜寝てたら夢で自分の部屋だった兄貴がソファに座ってた



「あれ?兄貴なんでいるの?病院は?」



「闘病、辛くてさ、辞めたんだ」



「なんで?辞めちゃダメだよ、一緒に頑張ろうよ」



「そうだよなぁ、もっと頑張らないとなぁ」



兄貴がソファーから立ち上がった時



電話で目が覚めた。






危篤の連絡だった。





朝4時半くらいだった。



今思えばタクシーの方が早かったのか、それはわからないけど、

飛び起きて、電車で千葉の病院に向かった



その間に兄貴に何回もラインを送った



「こんなところで逝くなよ」

「とーちゃんなんだろ」

「嫁と子供と、それから私のことも守れよ」

「焼肉行こうって言ったじゃん、来年の夏はキャンプに行くんだよね」





既読になることはないLINEだった。



病院に到着した時




もう兄貴は旅立ってた




私は最後も看取れなかった。




病室に入ったら



広い部屋に



兄貴が寝てた。



病院だったら点滴とか、なんか心電図とか色々ごちゃごちゃ置いてあるのに



もう、何も置いてなかった



ただ、窓際にベッドがひとつ、簡易トイレがドアの近くにひとつ。




兄貴は




いつもと同じ寝顔



半目だった・・・・・

(半目かい!!!って思うけど、いつも寝てた時目開いてたから、いつも通り)



いつも通りだったけど



抱きついても



心臓の音がしなかった




心臓の音がしない人




初めて抱きしめた







1ヶ月なんてあっという間で、入退院を繰り返す兄貴に、会いに行けるのは週2くらいでした。



もっと会っておけばよかった。



ドラマのような明るい闘病生活なんてなくて、

病気との戦いは精神も蝕むから


まだ、家族がチームとして団結する前に


兄貴は旅立ってしまった、そんな感じです。






なんで?なんでって感じじゃん。


なんで兄貴じゃなきゃダメなの?



マジで、私が代わりたいと思ったよ


私は独り身だし、私は命かけて守るものがない。


兄貴にはあるじゃん。娘じゃん。


100%これから娘は成長してくわけで


その成長見守れねーし、娘も父親いない環境で生きてくし


生まれて5日で父親旅立つとかありえないだろ




道を歩けば



「なんであの人じゃダメだったの?なんで兄貴なの?」

「こいつでもいい、こいつだった別にいいじゃん」



そうなります。


普通に。歩いてる人を呪いたくなるの。



私から大好きな兄貴を奪った神の理由なんて未だにわかんないし

わかりたくもないし、そんな試練もいらない





そんなことされなくても私は毎日をかみ締められるわ。



フザケンナよ。



って


今も思う。



ってか、あっけらかんと逝ってんじゃねぇよ


私置いてくんじゃねーよ



って兄貴にもムカつくし



葬式で棺桶に釘打つんだけど、ギリギリまで私は抱きついてて

もう兄貴をはぐはぐすることがラストチャンスなのかと思ったら

お経が終わるまではぐはぐしてやろうと思って


そしたら、お坊さんも私がはぐはぐ満足するまでお経を伸ばしててくれて







最後は私から離れた。





だから悔いなく見送れたっちゃ見送れた。悔いはあるけど。




あー



本当にウルトラ好きなんだよ、兄貴のことが



家族ってものがウルトラ好きなの




書いてたらまた神も兄貴も道を歩いてる人も呪いたくなっちゃったな。



そう、兄貴がこんなことになって、普通なら私、引きこもったと思うんだよね。ヨユーで



そんときにね、引き戻してくれたのが「アルタワンマン」だった


愛夢GLTOKYO



だった



株式会社ONE COLOR



だった。



そのときもうすでに個人で50人くらいの動員集めてたしさ。

友達も呼んでたしね。


チケット買ってくれた人も都合つけてくれた知り合いにも



「私大丈夫っすから!!!!」



って見せられる場所はそのとき「ワンマン」だった



もし、ワンマンなかったら、私は戻ってこれなかったかもしれないよね。



ワンマンで弾き語りのピアノをやるから


ずっとずっと毎日毎日毎日葬式の準備の合間にピアノを弾いた



結果失敗したし


なんか、ダンスも意味わからないところで間違えまくるし

不安定極まりなかったけど



きっと迎え入れてくれるメンバーもスタッフもお客さんもいなかったら

私はもっともっと辛かった



だから、ありがとね。みんな。


世界にありがとう

(何様マジで)





それで、明日は3回忌なの、


やだね。この時期大っ嫌い。


思い出すわけよ、普段忘れてんの?ってわけじゃなくて

普段考えないようにしてる


思い出すと道を歩いてても車運転してても声だして泣いちゃうからさ

ふつーに不審者じゃん



んでね、アルバム制作って本当に今ノイローゼMAXで、決算が去年の非じゃない。

ありがたいんだけどね。

そりゃ会社がおっきくなった証拠じゃん。

給料払う子も増えたから納税も増えたし、あれやらこれやら書類もたくさんよ。


ゆめかわのCDの全国リリースも今大詰めだしね。


大阪と渋谷のワンマンの企画も半ばで止まってるまま1ヶ月切ってて。

脳みそ吹き出たよ。



それで、4月末くらいになったらきっと分かるんだけど、去年から進めてたことが発表されるわいな。



頼ってくれる人が増えて、ありがてーけど、仕事が増えすぎて請負いすぎたわ。




両立は無理だろって根拠なく言ってくる奴に


真っ向から切れてたけど






認めるわ






今、プレイヤーは私にはできない。


すまん。






タレントが増え、仕事の幅が増え



いろんなことが3月に詰まってる





アイドル最前線のために出るしかねぇと思って


まだやりかけのまま復帰しちゃったけど





無理だった、ごめん。



限界が来てしまいました。



チーン。








ステージが好きです。

だから、見切り発車でも戻ればなんとかなると思ったけどさ、なんともならなかったわ。




ありがたいことにワンカラーに今応募がたくさん来てて、


アイドルやりたいって子が来てくれてるんよ。



そんでさ、その子たちの夢を一個でも叶えてやりてーんよ。

私もさ、自分が事務所に入った時はマネージャーって、ドラえもんだと思ってたわけ。



四次元ポケットから仕事出してくれると思ってたの

現実はそんなことなかったんだけど




今の時代、頭下げてマネージャーが仕事取ってくるって時代じゃないって言われるけど、人と人の付き合いで取れる仕事はある。



ってか、付き合いって大事だよね。人柄じゃん


仕事もタレントも向き合いたいんだ。わたしは。


うちの子たちに、これからうちに入る子たちに

あーワンカラー入ってよかったって思って欲しいし、







私はもっともっと裏方として頑張りたいって気持ちがある。



ステージも好きだけどね。



だから、復帰の予定はないけれど、活動を改めて休止させてもらうことになりました。




申し訳ねぇ。



次いつ戻ってくるか約束はできない、ごめんね。。




3月22〜25日の大阪には行きます。




こんな長々・・・・



休む言い訳みたいなのに付き合ってくれてありがとう。



振り返れば、


この2年



しんどかった。



休まないでやって来た。自分が休んだら全て終わっちゃう気がして


でも今は、わたしがその場にいなくても


やっていける、周りが成長してくれたのです。



ありがたいじゃん。




そんで、私は弱くなっちゃったんだ。多分。


疲れちゃったんだよね、全速力に。


私も凡だったわ、凡。

なんなら「私超すげー奴だぜ!」くらい勘違いしてたから、厄介凡だわ。ドンんまい、私。



だから、まぁ。これからもひとつ、ワンカラーそのものが私だと思って



見守っててくれな。



頼んます。





そんではしばらくおつかれっす!!

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一色亜莉沙(いっしきありさ)

一色亜莉沙(いっしきありさ)
身長:162cm
生年月日:1988年9月9日
血液型:B型

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