人間削り
和室が好きです。
旅行とかに行くとしたら、ホテルじゃなくて必ず旅館が良い。
例えば、同じ温泉地で同じ位、いやむしろホテルの方が大きいお風呂があって。
だけど、旅館の方が倍くらいの値段がするとする。
けれども、僕の中で旅行とは和室であり旅館であると言う潜在意識が、どうしても旅館を選ばせる。
どうも皆さん、池田純矢です。
つまり冒頭のあれはなんの話かと言うとですね、そのぐらい和室が好きで落ち着くのだけれど、自宅にはもちろん洋室も欲しい。
寝室は洋室、リビングは和室!
しかし書斎も欲しい。書斎は和室だな。
キッチンは絶対洋室でしょ!
そんなあれこれを叶えようとするとまあ、大きめの家じゃないとダメな訳です。
で、じゃあ自分の中で仕事以外の大切な物、必要な物に優先順位を付けるとする。
そしたら必ず家が一番。だから他を我慢する。平穏で、晴れていて、当たり前の幸せを求める。そんな感じな訳です。
それって自分では凄く幸せなのだけれど、何だか丸い気がする。丸いと言うか角がないと言うか、守りに入ってる?ような気がたまにするのだ。
うーむ。これは残念で仕方がない。
家とか、車とか、保険とか?あまりに当たり前に大切な物すぎるから。
何かを我慢しても、そこが充実して行くと言うことはイコール人としての幸せに近づく気はする。
だけど、ことこの仕事をしている人間としては、そこに絶対的な幸せを持ってしまうと何か物足りないのではないか。
つまり!!
《尖ってない…!!》
そう!尖ってないんですよ。
丸くなると人間力は上がると思う。人当たりが良くなって、好かれるかもしれない。幅が広がるかも知れない。
だが尖ってないと出来ない芝居がある…!
敏感に、鋭角に、鋭く、感性を磨き続けなければ到達しない域がある。
そんな物を、何もかもかなぐり捨てて手に入れようとするのが役者なのか。
はい、分かりません。きっと幸せでも丸くても、角がなくても、守っていても、僕が目指す場所に立ってる人は居るのです。
だから必ずしもではない。
それでも、尖っていたいと思う。
芝居を通して、物語を通して、観る人に色んな感情を受け取ってほしい、果ては幸せな気持ちにしたい。
だけども…。尖ってるだけの奴が、自分が幸せじゃない奴が、誰かを幸せにできるのか?
それじゃあ、本末転倒じゃないか!!
だからきっと。えんぴつ削りみたいに、人間削りがあればいいのに。
丸くて、幸せで、好かれて、”その時”になったら人間削りで鋭く尖らす!
普段から尖ってないとあんな芝居できないぜ!彼は役者に人生捧げてるぜ!尖ってる!鋭利!でも、幸せな気持ちになるぜ!!わお!!
みたいなね。そんな事が出来れば、こんな想いはしなくていいのに。
なんて、そんな妄想に浸る今日この頃。
誰かを幸せにしたい。自分も幸せでいたい。
同じようで違う、なかなか難しいのですね。
よし、今日も一日頑張ろう。