時間と戦う
秋の長夜を感じるこの季節。
布団に入ってからの読み物についつい耽ってしまっては時間も忘れ、気が着けばこんな時間…。
飲み込んでは生まれ、巨大化し、また飲み込み肥大する欲望と戦っている間に。
ほう、時間って、実は生きてるのかなと感じる今日この頃。
こんにちは、池田純矢です。
今日のテーマは時間。
時間と言うものは概念であり、伸び縮みするものだ。
さて、いつかどこかで読んだ気がするこんな話。
単純明快にざっくり説明すると、誰もが感じた事があるあの感覚です。
ほら、つまらない授業中とか興味の無い長話とかを聞いていると、さあもう30分は経っただろ!と時計を見てみるとまだ5分しかたって無いじゃないか!と言うあれ。
1ヶ月前から楽しみにしてた旅行の1日、大好きなあの子の横顔を見つめる時間!このまま時よ止まれ!と叫びたくなるけど、気づいたらもうお別れの時間。と言うあれ。
同じ一時間でも、両者の一時間には計り知れない大きな溝があると思いませんか?
だからきっと思うのです。
時間は生きていて、僕が辛い時には時間をこねこね長〜く伸ばし、楽しい時にはぎゅっぎゅっと短くしちゃう。
そうやって意地悪して来るんだな、と。
もしそれを100%信じたとして…
意外と本当にそうかもしれないと思うことが多々ある。
苦労して日々辛い人生を送っている人。この人が1日24時間を生きる中での体感時間を50時間ぐらいだとする。
日々充実して楽しくウキウキ、あっと言う間に人生を謳歌する人。この人が1日24時間を生きる中での体感時間は15時間ぐらいだとする。
苦労人は周りより老けて見え、充実した人は周りより若く見える。
うんうん、これは本当の話だね。
だから実は体感時間だと思ってた、誰もに平等に流れるはずの24時間は、実は平等ではなく不公平なのでは無いか!?
僕はそんな風に思うのです。
時間は沢山あるから有益なのか??
否。時間は限りあるから有益なのだ。
人生、そんな風に生きたい。
良い意味で太く短く。80才まで生きて、150才に感じる人生よりも、80才まで生き、50才にしか感じれない人生の方に魅力を感じる。
ちくしょう!まだまだ生きたいぞ!!もっともっと生きて、楽しい事して、楽しませて、そうやってまだ生きていたい!!
と、思いながら死ねたらいい。
へいへい、時間よ。意地悪するのは構わないが、お前が時間をぎゅうぎゅう短くすればするほど、僕の人生は充実して行くのだよ。
それでもいいならかかってきなさい。
限りある有益な時間を、むせ返る程の幸せでパンパンに膨らましてやる。
そして、その幸せを皆にお裾分けするのだ。
僕の周りの人がみんな、短いぞ時間!!と文句を言いたくなるほどお裾分けするのだ。
それが。役者をやるからこそ出来る事だとおもう。
この仕事はある意味、時間を操れると言っても過言では無い…気がする。それは言い過ぎか。
うん、でも、これからも僕は短くてぎゅっぎゅっとした時間を皆様に届けられるよう、頑張ります。
役者ですから。
さて。仕事するかー!