人に刺さる念矢
もともと
物事はとてもシンプルで
一つの始まりが次の今を作っているなら
その今となる為に介在したものが縁
それが作用であっても
物であっても、
人であっても同じこと。
縁は必要があっていただくものなら
その縁をどこに向けるかが大切と感じます
同じ要素でありながら
皆違う結果になる不思議
試されているとか
試練だとか
言葉で言うのはとても簡単ですが
理屈で理解するのと
体験や実践から得る心での納得はまったく別のものとなります。
何度でも言います
宗教や信仰は重要ではありませんし
そもそも人にそれらは必要ないと私は感じております。
修行や苦行から得られるものはありません
ですが人生の中で修行や苦行は絶対に大切で避けてはいけないものなのです
そこに人の都合による信仰が介在するなら、
その結果は迷いとなります。
いずれまたその話は書きますね^^)
私は浄霊師というお仕事の本質をこう感じております
霊を浄化する人、浄霊師
その霊とは魂であり、心。
つまり今を生きる人の心の浄化が最優先であり
次の迷いを生み出さない為の今が大切と。
何が言いたいのかと申しますと
つまり不安や恐怖は人が作り出すものが殆どなのです^^)
霊より念のほうが怖いということです。
浄霊師としてここ数年私が浄化するその7割が
人の妬みや憎悪から飛ばされる恐ろしく強い
刃物や矢のように刺さっている念を抜く作業である事実。
人の体には見えない流れの出入り口があります
首から肩、
背骨と肩甲骨の中心部位
そして腰や足の付け根
通常そこに蓄積する念の矢は抜くことがありませんので
いずれ慢性的な痛みとなるケースが多いものです。
心身のバランスを整えることはつまり
輪を生み、その波動による誰もが本来うまれ持つ弾く強さを
護りと言います!
合掌 浄霊師 神島千尋