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執念

幼いころの話


私の実家は小料理屋をしておりましたが、田舎ですので田畑もあり農作業のお手伝いをよくしておりました。
小学生のある夏の休日、父と畑仕事をしていました。
ジャガイモだったと思いますが、植えるための溝を二人で並び「クワ」で掘り進むのですが
父の方が早く進み、追いつこうと頑張るのですが・・・
父の溝と比べると私の溝は深さもラインもひどいものでした。

私の持っていたクワは柄が弓なりに反っていてそれが綺麗に土を掘れない原因だと思っていて
それを察したのか「交換するか?」と父が途中で交換してくれました。
使いやすくはなりましたが結局追いつけず、父の溝はそれまでと変わらず真直ぐで綺麗なまま。

 

休憩でお茶を飲みながら、父はそのクワをあぐらの上にのせこう言いました
「ここまで曲がったら普通はもう戻せないが、これを直す方法が一つだけある」と。
重石をのせておく?、火であぶって戻す、新しい柄を買ってくる、添え木をする等々
思いつくことを言いましたがすべて違うと即答
その後考え込む私に父が言った答えは 「執念だ」 でした。


不思議なのですが妙に納得した気分になりながらも、未だに事あるごとにその情景が思い出されて
その意味を考えることがあります。

今の私の生き方はその一言から始まったと言って過言ではありません
人の心で思い描く意思の力はとても強く、人の生きる原動力もそこにあり
肉体はもちろんこの世にあるすべての物にその意思は宿り反映されています。

ある想いを心に秘め永きに渡り持ち続けた物を手にしたとき
その波動が合う人にとっては力となり、ある人にとっては不和となる。
ある場所に来てから、ある物を手に入れてから、ある人と縁を結んでから
それまでとは全く違う流れになってしまった経験が誰にもあると思います

よい悪い含めそれが理由の一つです。

この世に人として生きている限り人、土地建物含むそれぞれに宿る気質と自身の波長の合う合わないの
バランスの中で居心地を探り続けています。
そんな中でも心迷わず戻れる大切な心の基点が、例えば目を閉じ安らげるところであるなら
自身が信じ仰げる物や場所がある人と無い人では折々の選択が変わるものです。

信仰や宗教などに囚われるのではなく、当たり前に「大切と心で思っていること」を
「人である限り行動として形にすること」が問われてるだけなのです。
人の発する気を誰もが6番目の心の感覚で感じ、無意識にその人の第一印象の要素としています。
良い印象を持たれる方は、迷いそうなときしっかり戻れる心の光の柱が日々の行動により
揺らぐことなくあるという事です。
日々変わらずに継続している行動の積み重ねから自信が生まれ
その放つオーラが一緒にいて心地よい人となるのです。



 

合掌 浄霊師 神島千尋

 

 

 

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出身地:長野県佐久市

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