機内での出会い(金田正一さん、徳島のおばさん、さらに)
パートタイム教授、奥田健次です。
大学をさらっと退職して、西軽井沢で学校づくりをしています。
先だって日本プロ野球界の大投手、金田正一さんが逝去されたという報道がありました。
元巨人の金田正一さんが死去 前人未到400勝投手
日刊スポーツ[2019年10月6日20時39分]
巨人は6日、国鉄、巨人の元投手でロッテの監督も務めた金田正一(かねだ・まさいち)氏が6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため、都内の病院で死去した、と発表した。86歳。通夜・告別式は近親者のみで行われる。喪主は長男・賢一(けんいち)氏。後日「お別れの会」を行う予定。 愛知県出身。享栄商を中退して1950年(昭25)国鉄(現ヤクルト)入団。65年に巨人軍に移籍し5年間プレーし、前人未到の400勝を達成。69年限りで引退した。背番号「34」は巨人の永久欠番。
かなりショックです。
というのも、今年初めて親しく会話する機会に恵まれていたからです。
今年2月、鹿児島出張の折、偶然にも隣の席に金田正一さんが乗ってこられました。
威風堂々というか矍鑠たるジャケット姿で来られて、すぐに「あ、2月やしプロ野球キャンプかも?」と思いましたが、お声がけするのも恐れ多いものですから、気がつかないフリしていました。
金田さんが客室乗務員さんに新聞を聞かれ「報知!」とリクエストされました。探して戻って来た客室乗務員さんが「1部しか無くて申し訳ありません、後ほどお持ちします」と答えたので、かなりバツが悪かったのを覚えています。
私が優先搭乗で着席した際、スポーツ報知を所望して受け取ったばかりで私の座席前ポケットにあったからです。「これが唯一の報知かーい!(もっと積んどけよ)」と心の中で叫びました。
私、すぐに「あ、私ちょうど読み終えたのでどうぞ」と金田さんと客室乗務員さんの会話に割り込んで、お渡ししました。(客室乗務員さんの安堵した顔ったら・・・金田さんより先に読めるかい!)
「おー、すまんね」と金田さん。
金田さんはスポーツ新聞を読み終えた後、しばらくして私に「どうや、今年のキャンプは? 注目しとる選手はおるんか?」と声をかけて来られましたので「あ、月末に那覇には行きますが、今回は別の仕事です」と答えてしまいました。
テンパってしまって、まるで野球の取材のほうがメインで本来の仕事のほうを「別の仕事」と言ってしまいました。
金田さんがそもそも私を見て記者と思ったのか関係者と思ったのか、その前提で声をかけてこられたのでその前提にお付き合いしたとも言えます。きちんと簡単にですが自分の仕事内容は伝えました。
その後、あれこれと初対面の私に野球の話をしてくれました。「阪神の藤浪晋太郎投手をなんとか助けてあげたいのですが」という話もしました。助ける方法として私の行動療法の話を講釈垂れるのは大変失礼なので、そんなことはもちろんしません。
でも、金田さんの藤浪投手に対する熱い気持ちも聞くことができました。
誰だって良い素材が力を発揮できていないのは忸怩たる思いがするものです。
着陸準備の頃、「400勝っていう記録は、誰も絶対に到達できない数字ですよ。今後、300勝投手も出て来ないでしょうね」と話すと、「知っとるよ」と嬉しそう。
さらに「もしや王さんのホームラン世界記録を超える選手が出てくる可能性はあっても、金田さんの400勝はどう転んでも無理です」と話すと、これまた嬉しそう。
私はもちろんロッテ監督最後の時代しかユニフォーム姿は見ておらず、試合中に乱闘しまくりの姿と解説者になっても強烈なキャラしか知らなかったのですが、ジャケットを着た老紳士として笑顔が豊かな方でしたね。なんとなく自分の祖父みたいでした。
私はほとんど聞き役で、今どきの若い選手の身体的な課題やら自分の頃の話やら、そして専門的な話も含めて話してくれました。別れ際には人生論というか金言もいただきました。
ジャケット姿は凛々しいのですが、膝が悪いのか飛行機を降りて歩く姿はとてもゆっくりでした。でも客室乗務員さんにも「また会おうな!」、グランドスタッフにも「よろしく!」と手を挙げて笑顔で声をかけておられました。
自分にもう少しミーハーなところがあれば一緒に写真をお願いしたのですが、少し会話できただけでも光栄で思い至りませんでした。
マネージャーが同行していれば「せっかくなので写真どうですか?」と気を利かせてくれたでしょうが、一人旅でしたので。
あの日から、8か月でお亡くなりになるとは・・・。心筋梗塞で8月に入院されておられたんですね。
今月、仕事を終わらせてから東京ドームのCSにも行けました(あまり良い席ではないけども、奇跡的にチケットが取れたのでした)。
東京ドームの柱に掲げられた背番号「34」、金田さんの永久欠番。
あそこにずっと変わらずあります。
機内でのあの満面の笑顔、忘れません。
ところ変わって、先日、徳島入りした際のこと。
隣に座ったおばさんが「拝啓アスペルガー先生の奥田先生でしょ?」と声をかけてこられました。私はびっくりして「どうして分かったんですか?」と尋ねると「テレビでも観たけど、マンガでもよう似ておられますから」とのこと。
あれこれと質問(相談?)されましたが、立ち話で回答できるようなものではなかったので、すみませんね。マンガについては出版物なのでいくらでも話せました。
マンガ 奥田健次の出張カウンセリング – 自閉症の家族支援物語の「隠しマンガ」についてはまったく気づいておられませんでした。ブログ、読んでないんかな。
これですよ。
パイナポーの歌を実存の歌詞で書くと著作権の話が生じるため、実在しない歌詞を作る必要があった。そこでどうしたかの実話を、武嶌波さんが再現して下さったのでした。
みなさまも、まだ知らなかった方は隠れマンガも探して読んでみて下さい。普通にカバーをめくれば出てきますから。間違っても「あぶり出し」とかじゃないからね。
考えてみると、これって電子書籍版には無いんかもしれないなあ。紙の本ならではの特典かもしれませんね。
それにしても、飛行機や新幹線での移動が多いとしょっちゅう色んな人と出会いますね。新幹線は長いから分かりにくいけども、飛行機は狭いからすぐに分かります。
さらに追記。
この原稿を推敲して投稿しようかなという日、なんと羽田空港のダイヤモンドラウンジで井上雅彦先生とバッタリと。似てるなと思ってましたら間違いないので「おお!」とお互い驚きながら、それぞれ行き先が違うのでガッチリ握手して「また来月!」と(来月、鳥取で講演会)。
昔、しょっちゅう一緒に飛行機で海外出張もご一緒していたので、懐かしかったです。
宣伝ですが、井上先生との共同監訳ロングセラー『自閉症スペクトラムへのABA入門―親と教師のためのガイド』が、ちょうどさらなる重版となりました。基本図書ですので療育やる方は必読です。
奥田健次
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