自由の吐き違い。
おはようございます。
対人科学コンサルタントの
こばりひさです。
毎日毎日をどう過ごすか?
結局は、自由なのだけど。
この「自由」の吐き違いを多くの人が持っている事に気づきます。
FREEDOMフリーダム→〝条件付きの自由〟
例:〇〇だったら、自由なのにな~(外的要因を条件にしている状態)
LIBERTYリバティ→〝条件無しの自由〟
例:どんな環境や、どんな状況でも、心が自由な状態(きちんと内的に自分で自由な考え方が出来る状態)
どちらもあって良いと思います。
でも、結局は〝freedom〟を追い求めた結果、心が空虚になってる方が多い気がします。
〝Liberty〟の概念を持ち続ける事によって、この〝freedom〟が生かして行けるはずです。
1つのおにぎりを食べるにしても
「温かい状態で食べた方が凄い美味しいのに。おかずもあれば、尚嬉しい。」
これは、条件付きの自由。
言ってしまえば、心が不自由な状態。
「冷たいとお米ってこんな味がするんだ。お米だけを味わう時間て無いから楽しもう。」
これは、心が自由な状態。
目の前の一瞬一瞬が自由で無い人が
将来に対し理想の自由を追い求める。
そんな、矛盾した人が多いと思います。
さて、〝freedom〟と〝Liberty〟どちらの自由を基準に置きますか?
どちらでも良いと答えられる、その考え方
そのものが
実は〝Liberty〟なんだよ。と言う事。
✱対人科学コンサルタント✱
小針梨沙