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My Sweet Pain 壱

自分はずっと、、

いえ…ある時から勘違いしていたのです


わたしはアイスリボンにとって必要な人間なのだと


だけど、

それは思い込みに過ぎませんでした



6月に、欠場の挨拶をさせて頂いたときにも言わせて頂いたことなのですが、


アイスリボンの中で、

何をしていいのかわからなくなって

気付いたら、なんとなく試合をこなすだけになっていた


何より、

居場所がなくなっていた


ずっとごまかしていたけど、

中からも外からも、自分は求められていないな、って、気づいてしまったのです


それに焦りながらも、

特に何をしていいのかわからなくて


ただ漠然とした夢を、

空想の中で思い描くだけの毎日


それは引きこもりだったときと全く同じ


「いつか」願いが叶うと信じて


でも、

「いつか」なんて絶対にこないものだと、

プロレスを初めてから知りました

思い知らされました



最初に言った「あの時」というのは、

2009年の春頃

アイスリボンの絶対的エースだった希月あおいさんがいなくなってからのこと…

当時は本当に本当に大きなことでした


正直、

アイスリボン、終わってしまうな、って思いました‥


その時は、毎回出場できる選手も少なかったし、

何より希月さん以上に人気のある選手なんていなかったから


本当にアイスリボンがなくなってしまうと思いました


だから、自分がやるしかないって、

ずっとお笑いキャラでいいやと思っていた自分が

アイスリボンをひっぱらないとだめだって、

そう思い始めたのです


無謀な考えですよね…


だけど、アイスリボンを守るのは自分しかいないのだと、

自分自身に「思い込ませ」ました


希月さんの存在には絶対に適わないと思っていたし、

変わりになんてなれないと分かっていたけど、


でも、アイスリボンをなくしたくなかった


エースにはなれなくても、

せめて、希月さんのいない間だけでもいいから

アイスリボンといえば真琴だと言われるように‥


だから、皆勤賞にもこだわりました(自分で手放してしまいましたが…)


少なくとも、この気持ちだけは本物です


でも、きっと自分の時計はそこから止まってしまっていたのです…


自分はアイスリボンに必要な存在なのだと、

自分自身にそう思い込ませてきた時から、ずっと‥


だから、

成長していく他の選手達や、変わっていく環境を見て

どこか取り残されている現実に気付き始めたとき、


耐えられなかった



正直に言います

自分はずっと過去に捕らわれていました


アイスリボンは自分がいなくても、全然アイスリボンなのだと思い知らされて

それと同時に、

今、いったい自分は何をしているのだろう?

という気持ちが芽生えました


正直、最近の自分はアイスリボンにとって穀潰し的存在だったと思います


でも、

それでも何をしていいのかわからなくて

どうするべきなのかもわからなくて、


アイスリボンの選手達はみんな上を向いているのに、

自分はひとりだけ違う方向を向いている気がしました


選手の皆と一緒にいても

毎日、夕暮れを1人きりで眺めているような感覚でした



すみません、続きはまた今度…p(´⌒`q)


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