LAライフまでの道のり②
ちょーっと長く空きました…ごめんなさい。
そして…
とうとうお引越ししましたー!
LAでのひとり暮らし開始でございます。
これ言い訳にしてもいーですか?_| ̄|○笑
これまたなかなか大変だったので、これもUPしますね。
ひとり暮らしまでの道のり。
今だにひとり暮らしはしてるけど、何が何だか分かってないし、とりあえず家に何もないです。
今回はこの前の続き。
LAライフまでの道のり②
このタイミングでかなのか、いや。たまたまかな。
嬉しい出来事。
バドの知り合いがめいのアメリカ行きを知って、私も海外挑戦したいから詳細教えてくれるとありがたい!っと言ってきてくれたんです。。
めいはホントにやりたいことをやってて、でもそれを見て海外行きたいって思ってる人の役に立てたことが何よりも嬉しくて。
なので…サッサと書け!って話ですね。
書きます、すぐさま、書きます!!!
この前まではアメリカの働き先決定までお話しました。
そこからが本当に大変でした…。
アメリカで働くにはWorking Visa(就労ビザ)が必要です。
それをもらうにはビザ用の弁護士が必要なのです。
その弁護士さんが必要な書類を作ってくれて、それをアメリカ移民局に提出して、通る通らないが決まります。
その弁護士っと言うのは専属ではないけど雇い先にいるのですが、ここで1つ目の問題勃発。
なんと雇い先の弁護士が日本人はした事がないので出来ない。っとバッサリ言われてしまったのです。
その弁護士がいないと就労ビザは取得出来ません。
そう働けないのです。
少し面倒くさいことなど、ちょっと距離を取ってしまうのがアメリカ人の性質?なのかこんな事が多々ありました。
0からのスタートがまさかのマイナススタート。
弁護士探しから始まったのです。
そんなアメリカなんて試合で行った事あるだけ。
日本でも代理の弁護士いないかなど、何も分からない中模索しまくりました…。そこで救世主現る…。
アメリカでカメラマンとして働いている、南さんっと言う方とたまたま帰国中の時に出会って…
南さんがお願いしている弁護士さんにお願いすることになりました!!!
なんと言っても英語がまったく出来ないので、弁護士さんとコミュニケーション取るのも、全てが英語。
なので日本人のアシスタント(通訳や翻訳等)がいないと話にならないので…そこはMUSTでした。。
そこの弁護士事務所にはその方がいたので、すがる思いでお願いしました。。
どのビザを取得するかを決めるのも、何をするのも…
全てアシスタントを通してやる。
ここが2番目の問題だったかもしれないです。
とりあえず何をするのも本当に遅い!!!
自分が英語話せて訳せてって出来れば問題なかったので自分が悪いのですが。
資料作りも提出する書類は当たり前ですが全て英語。
めいの成績や記事、何もかもがもちろん日本語。
そこなんです!!!そこを理解してもらって訳すのに膨大な時間がかかったのです。。
めいは早く行きたいのに、全然話が進まない。
そこの葛藤がホントにシンドかったです。。
いつ?いつ?早くして。って毎日毎日思っていました。
そして自分が準備する資料はある程度終わり、あとは弁護士さんとアシスタントさんがやるっという状況まできたので(っと言ってもここからもとてつもない時間がかかる!)、インターンっという形で1回渡米することになりました。
働くってよりも、どんな感じか試すっというか。
見るっというか。
アメリカの企業でもインターンっていうのは結構あるみたいでそこで自分に合う合わないって見極めるみたいです!
そこでの3ヶ月はホントに行ってよかったと思いました。
自分の英語力のなさを痛感すると共に、初めて海外で生活するっていうこと、生徒に教えるっていうこと。
何もかも初めてで…めまぐるしくあっという間におわりました。
ハッキリいうと、この3ヶ月のうち1ヶ月ちょっとぐらいは…
キツかったです!!!!!!!!
まず言葉が通じない。ここはホントにストレスです。
言いたいことも言えない、言ってることも分からない。
ダメなことだけど、1回英語が嫌になりました。笑
理解しようって努力をしなくなって、耳をふさぐ感じになりました。結構めいの性格上、ポジティブそうだし、そんなの笑顔で乗り越えそうでしょ?笑
違うんです。ホントに笑顔で乗り切っちゃダメだと感じたんです。切実に。
笑顔で交わしちゃうと、めいは理解している、分かっているって思われちゃうんです!!!!!!
分かってないのに!!!!!!
分からないことは分かってないってハッキリ言わないとダメなんだなっと感じました!
何もかもが分からなすぎて…日本では出たことのないアトピーなんかも出て。
異国で初めてアトピーなんて出たもんだから…
薬をいーっぱい探してどれがいいかなど…ホントにキツかったです!笑
いつか笑って話せる日が来るって思いながら。笑
今じゃ笑って話せるのでそこはよかったです。
日本では年末の紅白を浦島太郎状態になるっと言うぐらい邦楽を聞かなかったのですが、この時ばかりは本当に毎日邦楽ばかり聞いて大熱唱してました。
そのぐらい英語を聞くのが嫌になった時期もありました。
その時期も過ぎ、生徒の夏休みも終わり(行った時には夏休みでまぁアメリカの夏休みが長いこと、長いこと!)、自分も少しスクールに通いました!
一時帰国までの残り3週間通ったけど、そこで同じレベルの方やもっと話せない人もいたり。そうすると自然と自分から英語を話すようになるんです!
当たり前だけどめいは学生で行ってるわけじゃないので周りは英語の上手な人ばっかり。
そこでの自分の英語は自信がなくてあまり話せなかったなーっと思います。
こっちの人にしたら「えっ?何?」ぐらいの軽い感じの「What?」もその時のめいからしたらプレッシャーがハンパなく…話すことや言いたいことを諦めたこともありました、多々!笑
でも少しずつ話すようになってきて…スクールも最初分からないけど段々楽しくなってきて。
そこで…一時帰国となるのです。
そうビザが切れるんです。。
ここは初めから3ヶ月っと決まっていました。
最後の方は帰りたくないっと思えるようになってました!
この時は日本滞在がこんなにかかるとは…
思ってもみず…1ヶ月ぐらい滞在したらLA戻ってこれるだろうぐらいに思ってました!
それが大きな間違いでした。。
めいと弁護士&移民局の戦いは…まだまだ続きます。。
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想像以上に大変な思いをして渡米されていたんですね。時期も少し良くなかったのかなぁ、政権交代の真っ只中、アメリカ国内が混沌とした雰囲気でしたから。現在はどうなのかな?落ち着いたのでしょうか。明確なYesNoや英語力など、樽野さんが感じた「must」はきっと後に続く人たちの役に立つと思います。どうぞ健康で楽しい(←これ、大事ですよね)LAライフを!