おじいちゃん。
こんばんは。
すっかり久しぶりのブログになってしまいました。
たくさんの方々からのお叱りや激励、本当にありがとうございます。
なかなかブログを書くことができなくてごめんなさい。
書く時間が全くなかったわけではありません。
どうしても書く気になれなかったというのが本音でしょうか…。
こんな自堕落ではいけませんね。
本当にごめんなさい。
この数ヶ月間、本当にいろんなコトがありました。
嬉しいことも、悲しいことも。
今日ようやく重い腰を上げてみたものの、なかなか本題のブログ内容を作成できずにいます。
本当にダメな私。
けれど、文字にしようとすればするほど、文章を作成しようとすればするほど涙が止まりません。
このことを書けばその事実を認めてしまうようで、でも、この事実はどうやっても覆すことができないことはわかっているのに、文字を打っては消して打っては消しての繰り返し。
もう少し時間が経てば、このまとまらない頭の中も整理できるでしょうか。
先週末、大好きな大好きなおじいちゃんが他界しました。
親から連絡を受けた時は意外にも冷静で、お通夜もお葬式も自分なりにきちんとお別れをすることができたつもりです。
けれど、やっぱりこうしていざブログを書くとなるとダメですね。
たくさん流したはずの涙は、まだとめどなくあふれるみたいです。
あんなに元気だったおじいちゃん。
萩家で一番パワフルだったおじいちゃん。
よく食べ、よく動き、よく働き、よく学び続けたおじいちゃん。
会えば「美香!」と大きな声で呼ばれ、お小言の時間が始まります。
端から見たら口うるさいおじいちゃんでしたが、私にとっては人生で一番影響を受けた人でした。
おじいちゃんから学んだこと・教えてもらったことは計り知れません。
今までもこれからも、私の尊敬する人はおじいちゃんだけ。
そんなおじいちゃんの病気が判明したのは、約一年前でした。
病気がわかると同時に、「一年はもたない」とお医者さんに言われ、それなりに自分の中で気持ちを整理してきたつもりでした。
けれど、入退院を繰り返しながらも、車を運転したり、一緒にうなぎを食べに行ったり、時には伊勢や京都まで参拝に出かけていたおじいちゃんを見ていたら、心のどこかで、病気なんて嘘で、このままおじいちゃんは元気にい続けてくれるんじゃないかと思ってしまっていたんでしょうね。
緩和ケア病棟への入院が決まったのが、病気判明から約一年を過ぎた今年の10月。
それからの毎日は、携帯電話の音がこわくてこわくてしょうがありませんでした。
親からの着信やメールには一段と敏感になり、朝起きた時やお仕事が終わった時、携帯電話を確認するのがどれだけ嫌だったか…。
けれど、確認せずにいる勇気もなく、何も変わりない携帯電話の画面を見ては、何度胸をなでおろしたかわかりません。
三重県と東京はあまりにも遠すぎて、いつもは近いと思っていたこの距離がこんなにも遠くわずらわしく感じたのは初めてでした。
会いにいきたい時にすぐ会いにいけない。
ただ一瞬顔を見たいだけなのに、すぐ行けない。
連絡を受けたのは真夜中で、携帯電話の画面を見るやいなや、電話に出なくても何の知らせかはわかってしまう自分が嫌でした。
願うことならば、この電話だけは一生かかってきてほしくなかった。
生きている限りいつかは訪れる別れ。
わかっているんです。
命ある生き物である限り、いつかは誰しもが通らなければ行けないこの瞬間。
頭の中ではわかっているんです。
けれど、どうしても受け止められない、いや、受け止めたくない気持ちが私の頭の中をさらにぐちゃぐちゃにします。
おじいちゃんからは本当にたくさんの愛情をもらいました。
女の子の孫は私だけだったからか、人一倍可愛がってもらいました。
抱えきれないぐらい、忘れることのできないぐらい、たくさんの愛や思い出をもらいました。
もうおじいちゃんからほしいものなんて何もありません。
ただ願いが叶うならば、もう少しだけ一緒にいたかった。
おじいちゃん、今まで本当にありがとう。
おじいちゃんのおかげで、私はここまですごく充実した人生を送ることができました。
おじいちゃんがいろんな所で私の話をしていてくれたおかげで、会う人・会う人におじいちゃんが話していた私の話を聞くことができました。
おかげで、これからもいろんな所でおじいちゃんのことを思い出すことができそうです。
最期の最期まで、本当にありがとう。
おじいちゃん、大好きでした。
いつかまた空の上で会えることを楽しみに、私もまたこっちで頑張りたいと思います。
よし、ゆっくり前を見よう。
すぐには気持ちを切り替えられないけれど、ゆっくりゆっくり前を向いて歩いていこうと思います。
これからもどうぞ萩美香をよろしくお願いします。