私信なんてものは、あるはずがないだろう。
わたしは偶像であるはずだもの。
フレンドリーでいたいけれど、友達ではないし、遠すぎるわけでもない。わたしは偶像であり、隣人だから。
こんばんは、御茶海マミです。
特に何もないけれど、わたしは“何”であるかという問いを、生誕祭の後、考えつつ、制作期間に入っておりました。
うまく発表の場に出せれば良いのですが。
うまくできていないなぁという実感は、前からずっとあったけれど、ここまで自分の身に降り注いでいるという気づきを得たのはつい最近で、誰がどんな感情で観ているか、なんとなく薄っすら、感じ取れる距離感であるということに気づいたのもつい最近。
心が体から離れていたのでしょう。俯瞰して見ていたように思える時間は、あっという間に血肉になってしまったようです。
わたしが身近なものたらしめるのは、わたし自身であるのは知っているのです。
それを切り離す勇気は藪の中。
手が傷ついてしまうから、闇の中。
今、本物についての小説未満の文章を書いておりますが、本物の時間が短すぎるわたしが書ききれるのか。描ききれるのか。
待て次週。これにて閉幕。
無理矢理にでも、カーテンを抉じ開けようなんて輩には見せてあーげない。
「なんでもない」の歌詞も良い歌詞ですし、意外に(と言っては失礼ですが)面白い文章書くなぁと思っているので、何か文章作品できるのは楽しみですが、僕が拝見できるかどうかわからないってことなのかなぁ、、、。