昨日は孔明の月命日でした。
前日までは
もう何か月も孔明に触れていない
これからもずっと触れる事はできない
と考えて淋しい気持ちでいっぱいでした。
でも昨日、孔明の為にお花を選んだ帰り道
孔明の為に私にはまだできる事があるんだ
と突然気づいて、物凄い幸せな気持ちになりました。
お花を選んでいる時は、孔明がいた時と同じように彼の喜びそうな事や好きな食べ物とかを思い描いてお買い物をしていました。
うまく言えないけど、いないけど、いる、みたいな。
触れたりお話したりはできないけど、心の中では生きてた時と同じなんだなと思えました。
りゅうと孔明が亡くなってから、彼らの事を考えると淋しくて泣いてばかりいました。
でも昨日は初めて彼らの事を考えて、幸せな気持ちになりました。
これが立ち直るという事なのかな、と思いながら1日を過ごしました。
そして四十九日や月命日って、亡くなった者への決まった行事なのかと思っていましたが←伝統というかしきたりというか…
どうやら違ったのかも。
そういう特別な日にいつもより少し特別なお花を買ったり、好きな食べ物を選んであげたりする事で一緒にいた時と同じような気持ちになれるのが幸せなんだな、と。
すごく大切な日だなぁ、と。
亡くなっても幸せな気持ちをくれてありがとう、と思いながら
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