いのちをいただく
姫は絵本が大好き。
小さな頃から
毎晩、好きな絵本の読み聞かせをして眠りにつきます。
去年のクリスマスプレゼントに
5歳の姫に贈った絵本
熊本の食肉解体作業員、坂本さんと
解かれてしまう牛、みいちゃんのお話。
この本を贈ったことを人に話すと、
「ちょっとまだ早いんじゃないの?」
「お肉の英才教育でもしたいの?」
など
意外にも
否定的な意見が少なくありませんでした。
でも、私は思うんです。
牛を解くということは特別なことでしょうか。
私たちが毎日、鶏肉、豚肉、牛肉、
お肉やお魚を食べて生活することが当たり前のように
牛や豚、鶏のいのちが日々、解かれていること。
『私たちはいのちをいただいて生きている』
“特別なことだ”と植え付けているのは大人の感情。
子どもは大人が思っているより
ずっと「しなやか」で「強かさ」を持ち合わせてる。
そんな私も
姫が乳児の頃、驚いたことがある。
それは保育園の虫かご。
カマキリの虫かごの中にはえさになる蝶々にコオロギ、とんぼ。
カマキリの足元には、すでに補食されたとんぼの羽、残骸・・・
「怖い」と大人が歪めなければ、
子どもは
「カマキリは蝶々を食べるんだよね」
と
自然の摂理(あたりまえ)を受け入れ理解する。
クリスマスから1カ月。
「今日はみいちゃん読んで〜」
みいちゃんの本を読む夜は姫にとって特別な日じゃない。
たくさん並ぶ本棚の中から、
今夜読む1冊として手に取ってくる。
お肉を食べるときに
「これはみいちゃんのお肉?」
こんな会話が出るようになった。
「残しちゃいけないね」
筋のある硬い部位は残すことがあったのに。
何度も何度も噛み続けて味わうようになりました。
私たちは
当たり前のようにお肉をいただいている。
このお肉がテーブルに届くまで。
大切ないのちが
たくさんの人の手、想いでつながっている。
だから
感謝していただく。
今日もおいしいお肉をありがとうございます。
主宰:片平梨絵