お父さん。
父が亡くなっていた、らしい。
番場順。バイオリン職人。
私が3歳の時に離婚していて、次に再会したのは18歳でした。
離婚時、私を引き取ると言っていたよう
で、
別れたあともこっそり、私を見に来てくれ
ていたようです。
18歳の時に再会することになったのは、
私が自分から連絡したからでした。
電話の向こうで、「理恵?」と言った父の
声、
新幹線で東京のホームに着いた時に窓から見えた大勢の人の中からすぐにお互いを瞬時に見つけたあの感覚、今でも鮮明に覚え
ています。
フランス料理のフルコースを食べて、二人
で手を繋いで銀座を歩いて。
父には複雑な思いも確かにずっとあって、
去年、母と父が住んでいたアパートを見に
行ったりして、
さらにこの1週間は何故か父のことを考えたりして、自分の中で理解と整理をしてい
たのも
偶然ではなかったのかなと思ったり。
妹から先程電話があり、
「お父さん亡くなったみたいよ、裁判所か
ら通知が来てる」
最後に会ったのは、妹の結婚報告で、息子
も会わせられた7年前でした。
何の感情かはわかりません。
久しぶりに声を上げて泣きました。
私は本当はお父さんが大好きだった。本当
はものすごく大好きだった。
1本の木から、美しい音色を奏でるバイオリンを作っていたお父さんのDNAを持って
いることを誇りに思うよ。
お父さん、ありがとね。
心からお悔やみ申し上げます。
番場さんにヴァイオリンを35年近く前に、当時師事していた先生を通して注文し、作っていただきました。10年ほど使わせていただいた後は実家で静かに眠っていましたが、最近また自分の手元に取り戻したので、弾き始めようと思っていたところです(昨日一昨日と連続して弦が切れて今日は弾けませんが)。
そこで、一度ヴァイオリンの調整に伺いたいと思って「番場順」さんでネットサーチをしたら、西脇理恵さんのブログがヒットしました。
お亡くなりになっていたとは、本当に残念です。
番場さんのヴァイオリンはケースの中で20年近く眠っていたのに、今も素晴らしい音を奏でます。今まで放置していた事が本当に申し訳なかったです。無性に番場さんのヴァイオリンをまた弾きたいという気持ちがここ数年湧いて来たのは、番場さんが作られた楽器ひとつひとつに魂が込められているのでしょう。「また弾いて」という声が届いたのではないかと思います。
これからは毎日大切に使わせていただこうと思います。
西脇理恵さん、お父様のことは本当に残念でしたが、きっと天国から見守ってくださっていることでしょう。どうぞ益々のご活躍をお祈りしています。