魚は綺麗に食べます。
“船底、板一枚下は地獄”その中で漁師さんが命懸けで獲って来た魚だと教わりました。
こんにちは。
クリスマス。
過ぎましたね。
クリスマスの想い出といえば、幼少の頃。
幼稚園はカトリックで、毎年クリスマスには地元の公民館でキリスト生誕の劇を行うのですけれど、年少組の私は、劇中使われる曲を奏でる“木琴隊”。
ステージの前側に雛壇があって、そこに配置されました。
私の通う幼稚園は、色々な楽器を演奏します。
カスタネット、シンバル、ハーモニカ、バイオリン、ピアニカ…。
今ではもうバイオリンは弾けませんが…。
まあ、幼稚園1年生なので、役はもらえないのは致し方ない。
年中組になり、クリスマスが近付き、今年は舞台に上がりセリフがある役がもらえるだろう…と、期待しておりました。
予想通り舞台に立つ事が出来ました。
しかし、セリフは無く残念。
役は“木”だったのです。
木の幹から顔を出している役。
『この役は、別に人間がやらなくてもいいんじゃないか…?』
4歳の私は、少し疑問に思いながら、役に集中してやり遂げました。
翌年の年長組。
さあ、もはや同級生達がヨゼフだマリアだ町の科学者だと配役が決まっている中、さすがに今年は舞台に上がりセリフがある役だろうと高を括っていました。
まさか主役のキリスト様か?なんて事を期待しながらも配役発表を待っていました。
クリスマス、私はついに念願の“役者達”と共に舞台に立つ事が出来ました。
しかし皆と衣装が若干違い、白に黒のアニマル柄…。
その役とは……
“牛”です。
完全に牛です。
キリストはベトレヘムの馬小屋で救い主として、誕生します。
その馬小屋の中にいる、“牛”だったのです。
やはりセリフは『モ〜…』のみ。
これはセリフではなく、鳴き声と呼ぶのかも知れません。
5歳の私は、『せめて、馬小屋なんだから馬にしてくれたらいいのに…』と、今となっては、どっちでもいい事を思っていました。
紙で作ったバイザータイプの牛の顔を頭にかぶり、少し部屋干しの香りがする、衣装に身を纏い、その役を全う致した次第です。
せめて人間の役をやりたかった…。
そう、思ってはいたのですが、第二部の違う劇で、主役を射止め、その時代の西洋の金髪パーマ(イメージはバッハ)のかつらを付け、舞台の中央で方膝付いて、両手を広げて長いセルフを一度も噛まずにこなしたのです。
幼稚園の先生方もちゃんとバランスを考えていてくれてたのでしょうか(?)
木琴隊→木→牛…と、3年間本編では人間になれませんでしたが、最後は“主役”という大役を与えられ、『主役って結構大変だな…セリフ長いし…』と、わがままな事は5歳の私でも一切口にしないで務めたのは良い経験でありました。
兄弟でツリーを飾り付けしたりケーキを食べたりと、クリスマスらしい事をよくしていた想い出があります。
大人になると、クリスマスという意識は無くなり、“普通の忙しい年末”という感覚になります。
最近はもっぱら、不幸な話しをして景品を貰う番組観ながら、片付けか年賀状をやっています。
狸小路は、まだクリスマスムードでした。
クリスマス、エピソードは、また来年にでも…。