投稿日:03.15.2012|カテゴリー:日記

“先程14時46分、東北地方で大きな地震がありました…マグニチュード………被害状況は……津波の恐れがあります…高台へ…”






随時ラジオから聴こえて来る緊急速報を私は大渋滞の中、車内で聴いていた…。





2011年3月11日



あれから1年が経つ。







横須賀で丁度試合が終わりミーティング中、突然足元がフラつく。


『ベンチから出ろ!』


全員フェアグランドに出る。


周りの山の木々や電信柱が大きく左右に揺れている。



『東北で震度7!!ここも津波が来るから、15分以内に帰って下さい!!』


港のそばにある球場。



すぐさま全員支度をしてその場から避難。



私もシャワーを浴びずに車に乗り、横須賀を脱出。


しかしすぐに車は進まなくなる。

高速道路入口は閉鎖、迂回して一般道路を走る。


途中、荷物を背負って高台へ避難する親子を見た。


市街地は、信号が止まり警察官が交通整理をしている。


道に溢れる人と車。


16時頃、横須賀の一般道で大渋滞の中、ラジオや携帯で情報収集。


これは大変な事になっていると感じた。


大津波が東北を襲ったニュースが流れる。




ふと外を見た。


フロントガラスにポツリと雨粒が落ちて来た。


見上げると、見た事のない黄色い空が不気味に広がっていた。


『何なんだ、この色は…』







安否確認のメールや電話は繋がらないまま、20時過ぎにやっと横浜へ入った。


関内から桜木町まで2時間掛かった。

普段なら3分程度の距離。


喉が乾いて、コンビニに寄った。


トイレは長蛇の列。


陳列棚には何もない。


水も売り切れ。


仕方なくスナック菓子と炭酸飲料を買い込んだ。


数時間前のメールが届く。


有難い情報をくれる人もいた。


勇気付けられた。


後から判ったが、Twitterが情報収集に役立ったそうだ。






市内は所々歩道に倒壊したビルの瓦礫が落ちていて、横浜でもこんなに被害が出ている。


都内、帰宅困難者が夜遅くになっても絶えない。



時間共に被害状況のニュースが入って来る。


これはただ事ではないという思いと、大きな余震が襲ったらとか、果たして無事に家に付けるのか、知人の安否など不安が大きくなり、色々な事を考え事の重大さが気持ちの中で増していった。



やっと渋滞を抜けた深夜、疲れて路肩に停めて仮眠を取る。


不思議と周りに車がいない大きな道路。


目覚めると40分程眠っていた。

 

余談になるが、私が帰宅途中仮眠を取る為に停めた道路に車が全くいなかったのは、数ヶ月経って気が付いた。
海沿いの道路だったからである…。

 

ハンドルを握りしめ、再度自宅を目指す。


ガソリンは幸いにも前日に満タンにしてあった。


この時点で出発してから12時間が経過していた。


道路がひび割れして段差がついていたり、液状化現象で水が溢れ出している。


『これが液状化現象か……』


ラジオから色々な情報を収集していてそう思った。


朝日が昇る中、また大渋滞。


やっとの思いで到着した時は翌日の正午過ぎだった。通常の20倍の時間を要した。


そこからは安否確認の連絡や報告を済ませ、テレビを観てその被害の大きさ、津波の猛威、被害者行方不明者の数に愕然とした。




『明日から日本はどうなるんだろうか…』


そう思った事を覚えている。

 

 









エリアメールが頻繁に鳴る程の余震の不安と恐怖、水やガソリン不足、計画停電、放射線物質、作物の風評被害、まとめ買いによる物不足、液状化現象、ライフライン寸断…それでも我々は幾度となく今後についてのミーティングをし、仕事を再開していった…。













震災、被災は続いている。


まだまだ色々な問題は山積み。


まだまだ関東地方も地震が多い。

もう起きて欲しくはないが、備えておく必要があるだろう。


“予想を上回る”ではいけない。


“上回る予想”をしておかなくてはいけない。


次の世代に残さなければいけない。


いくらインターネットが発達し生活が便利になろうが、突然の自然災害には勝てない。






現実的では無いが最近思う事がある…。


もし人間の文明が今みたいに発達していなくて機械に頼る事の無い原始時代、いや、人間に進化する前のままだったら、地震を予知・察知する事が出来たのかも知れないと。


動物達のように研ぎ澄まされた感覚が我々に残っていたならば…。

例え現実的にそれが不可能であるならば、人間は全力で知能を振り絞り“最小限に防ぐ”準備は出来ると思う。






1年が経ち、被災地から離れていて幸せな事に通常の生活をさせて頂いている今の私に出来る事。





“いつまでも忘れない事”










震災により大切な家族を失いこれからの人生を生きて行かなければならなくなった方々を見ると胸が詰まる。









日本観測史上最大規模のマグニチュード9.0、最大震度7を記録し、犠牲者1万5千余名、未だ行方不明者3千名以上といわれる、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)。



犠牲になられた方のご冥福をお祈りすると共に被害に遭われ未だに大変な生活を強いられてる方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

 

 

先程も千葉県で震度5の地震があった。

 

 

危機管理、防災意識を高めておかなくてはならいと思った。

コメント (6件)

  1. 震災から一年。今も苦しんでいる人達がたくさんいて心が痛いです。大事な人を亡くした人達の悲しみは、癒えることがなく、でも、どうかこれからの人生を諦めることなく強く生きてほしいと願わずにいられません。被災者の人々が少しでも希望を持てるような、復興支援を私達がしていかなければならないと思います。大村コーチが言うように、この記憶を、これからも忘れないことが、今、普通の日常を送れている私達にとって大事なことだとおもいます。

  2. 震災から1年ですね~巌の文章で記憶が蘇ってきます。私も自衛隊輸送のフェリーに緊急で乗船させられました。去年は開幕が遅れたけど、今年はなんとか大丈夫そうですね(地震はまたいつ起こるか分からないけど)もうそんな時期なんだな~今年は栗山監督の下、オープン戦は巌の育てた選手が活躍してますね~これからも、上へ良い選手を送り出して下さい。期待してます。

  3. あのときの空、私も今まで見た記憶がなく思わず写メしました。漠然と恐怖と不安につつまれながら。

  4. あれから1年経ったのですね。地震にはあまり縁のない地域にすんでいるので、あの日、震度2の地震に驚いていました。そこへ飛び込んできた映像・・・海岸のそばというわけでもなく、ただただ田んぼが続いているのどかな風景を、ダムから放流された水が流れ込むように、ものすごい勢いで田んぼや家を飲み込んでいく・・・これは現実?すぐには理解できませんでした。津波さえよく理解していなかったと思う。
    あれから1年、少しずつ非常持ち出し袋の中身をそろえ、家具などの転倒防止グッズも買いました。使うことがないことを祈りながら。
    これからも募金をはじめ、できることはやっていこうと思っています。

  5. あれから一年経つのにまだ余震が続くなんて本当に怖いですね。
    もうこれ以上被災者を苦しめる事が起こらないよう切に願っています。

  6. ご無沙汰してしまいました。お元気ですか?
    昨日の地震、関東方面で、結構な揺れでしたね。大丈夫でしたか?ちょうど、帰宅して、夕方の地震の報道を見ている最中の事で、びっくりしました。
    昨年の余震なんだそうですね。暫くは、続くようですので、お気をつけ下さい。


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大村巌(元プロ野球選手、千葉ロッテマリーンズ所属の外野手)プロフィール

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