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誕生日

42ケーキ

 

10月4日、自称「天使の日」に、42回目の誕生日を迎える事が出来ました。

また、沢山の方からのお祝メッセージを頂き、本当にありがとうございます。

これからも日々努力、そして更に成長出来るように頑張って行きたいと思います。

これからもよろしくお願いします。

 

そんな天使の日に行われた、ラグビー日本代表の戦いを観戦させて貰いました。

ワールドカップを戦うラグビー日本代表、本当に頑張っていますね!!

あれだけ体格差がある中で体を真正面からぶつけ、痛くない訳ないのに直ぐに立ち上がる姿。

心臓が口から飛び出すのではないかという位の心拍数の中でも、足を止めずに仲間をサポートする選手達。

日本国民が、応援しない訳がありません。

やはり日本代表、日本を代表するということはああいう事なんでしょう。

彼らの活躍を見て、ある気持ちが蘇って来ました。

 

 

2000年、世界選手権グアテマラ大会のアジア最終予選がタイのバンコクで行われました。
今や永遠のライバル「イラン」に準決勝で競り負け、3位決定戦では、地元タイとの打ち合いに敗れ、ワールドカッップに出場することが出来ませんでした。
今までのフットサル人生で、「一番」悔しい思いをしたのはこの時だと思います。
もちろん自分だけでなく、その時ピッチに立っていた仲間も同じ気持だったと思います。
それから4年が経ち、その時の経験を生かしてアジア予選を勝ち抜きました。
 
その4年間は、技術の他に、精神の修行だったと思います。
日本のフットサル界を変えるために、、、
それは、フットサルに関わる選手たち全ての合言葉でもあったように感じます。
チームで海外に挑戦しに行くことはもちろんの事、個人としても甲斐さん、前田、市原、難波田、木暮はブラジルに。自分はイタリアに飛び込みました(他にも沢山いました)。
その当時は、海外から日本合宿や遠征に行く飛行機代は、自分で出しました。
それなら参加しなければと言われるかもしれないですが、フットサル日本代表の海外組という認識が無かった為、それを認めて貰うためにもそれが必要でした。
練習場は主に屋外で、雨の日は普段の試合を想定した環境とは程遠い、滑るボールとコートでの練習でしたが、誰も文句言わずプレイしていました。
スポンサーさんが無いチームは、自分達でコート代を支払いました。
 
フットサルに関わる選手は高い意識を持ち続け、また「サポートする人」も、日本のフットサル界を変えるため、そこに向けて本気で関わっていたと思います。
悪いプレイは「駄目だし」も多かったし、「反省」する機会も多くある。
結果、一つ一つのプレイの「重要度」に気がつく事が出来るし、それが気の抜けない環境となる。
何と言っても、選手1人1人が「考え」個性を作る。そして「努力」しているのが誰が見ても分かるくらいピリピリしていたように思います。
だから、気を抜いたらすぐに置いて行かれる様な環境でしたね。
 
結果、2004年のマカオのアジア予選では、2000年に悔しい思いをした仲間の半分以上はメンバーが入れ替わりました。
それは、引退して自分達に託してくれた人もいましたし、何よりも日本のフットサル選手全員が努力した結果の良い意味でもありました。
 
一つだけ大誤算があったというならば、ワールドカップ直前にアキレス腱を切り、ブラジルのプロ選手を勝ち取り日本代表の中心選手でもあった「キャプテン市原」の離脱でした。
彼がいれば、、、
多分、フットサル界に関わる全ての人が強く、真剣に思ったと思います。
その位、みんなが関わってくれていました。
日本のフットサルはまだまだ努力しろと、試練を与えられたのかもしれませんね。
 
今の時代から見ると、「そんな事もあったんだ」で終わる様な事なのでしょうけど、初めてワ-ルドカップに出場することがどれだけ大変だったかと言う事は、未だに言葉では言い表せません。
Fリーグが始まり、華々しい歴史が沢山増え、素晴らしい写真や動画が直ぐに見られる環境である今は、その時の事などは写真も映像も無いただの1、2行で収められている記事。
でも、あの時を過ごしたフットサル界の人々は、間違いなく何があっても崩れない強固な土台を作り上げてくれたと思います。それは、自身を持って言える事です。
 
段々、時代がそうなってきているからと諦めている部分もありましたが、今回のラグビー日本代表が世界と戦う姿を見ていると、2000年からの4年間にすごく似ている気がします。
それも今の時代に。
 
4年後、ブラジル大会、そして前回のタイ大会は、予選リーグ突破と歴史が動いています。
来年2月にはアジア予選、その先にはコロンビアワールドカップが迫っています。
でも、フットサル界に危機感が無いように思うのは自分だけでしょうか。
 
ミゲル監督は努力してくれ、ここまで日本のフットサルを強くしてくれた。
そして、選手達も、色んな物を背負い、日々努力し日本を背負い戦ってくれている。
ただ、ラグビー日本代表のプレイを見せられると、まだまだやれる事はあるのでは無いかと。
後は、周りがどれだけ選手にハッパをかけられるか。周りがフットサル日本代表の目標を何処に考えているか。その環境が足りていない気がする。
残念な事に、一番苦しかった2000年から2006年に日本を背って戦った代表選手が、あまりFリーグはおろかフットサル界に関わっていない。
代表でプレイするのは並大抵の精神力では難しいはず。
その目標が高ければ高いほど、より選手プレッシャーを与える。
そんな中で世界に勝つためにプレイしてきた、細かなプレイの質や経験、そして何よりも戦う意識の持ち方。
こんな財産を眠らせ、分かっている大事な部分を伝えられず、今の選手達にまた同じ悔しい気持ちを味合わせるのか。
もっと我々がやることは無いのか。
 
女子フットサル界も
初めてのアジア選手権が行われ、男子フットサルが通ってきた道を辿り、個人もチームも成長するために、もがいています!!
 
でも、やはり負ける日本代表は見たくない。
フットサルに関わる人達全員が同じ方向を向き、アジア予選を勝ち抜いてもらい、ぜひ今回のワールドカップを成功させたいです!!

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相根 澄(元フットサル日本代表)プロフィール

プロフィール写真

相根 澄(元フットサル日本代表)(さがねきよし)
生年月日:1973年10月4日
血液型:AB型
身長・体重:175センチ 65キロ
出身地:京都府綾部市
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