おばあちゃん
午後13時37分、おばあちゃんが死んだ。
わたしのたったひとりのおばあちゃん。
実感が沸かないものの、最近のわたしは人が死ぬことに慣れてしまったのか、不思議と涙が出ない。
数年前、おじいちゃんが死んだ時は自然に涙がポロッと落ちたのに。
おじいちゃんより、ずっとずっとお世話になったおばあちゃん。
幼少期、家庭の事情で親元を離れ預けられた先は母方の祖父母の家だった。
わたしにとって、お父さんとお母さんはおじいちゃんとおばあちゃんなんです。
二人とも、死んだ。
皮肉にも今月末会いに行こうと思っていた矢先の出来事でした。
生前、だんだん老いていくおばあちゃんを見るのはとても奇妙な感覚だった。
もちろん人間だから、当たり前に老いていくのだけれど、こんなにもおばあちゃんになるのだと内心驚きを隠せない自分がいた。
わたしが一緒に住んでいた頃は、本当に元気でシャキシャキしていて、車も運転するし、弁も立つ人で。
子どもたちと離れ、おじいちゃんが死んでからの認知症の進行はそれはそれは早いものだった。
おばあちゃんを施設に入れるのは苦難の選択でしたが、そうするしかなかったので、ここ数年おばあちゃんは施設での生活だった。
母や、母の姉が度々様子を見に行ってくれていたけど、東京に住んでいるわたしはたくさんは会いに行けなかった。
それでも、去年の今頃おばあちゃんに会いに行ったとき、名前を思い出してくれたときは嬉しかったなぁ。
夜な夜な家族のことを思い出し、ふと涙してしまうことが多々あるのですが、少し時が経ったらそんな感じで、また夜な夜な泣いてしまうのかな。
いじめられてないかな、職員さんは優しい人だろうか、お友達はたくさん出来たかな、ご飯ちゃんと食べれてるかな。
そんなことをずっと心配していました。
おばあちゃんが生きているうちに、結婚とか出来たら良かったよね。
3人もいたら1人くらい、ね。
晴れ姿なんて、見せてあげられなかったね。
おばあちゃんは、幸せだったのだろうか。
30キロちょっとしかない小さな身体、もっともっと包み込んであげられたら良かった。
老いは、残酷だ。
おばあちゃんの作ってくれたご飯はいつも美味しかった。
鶏肉を味噌で煮たやつとか、いももちも、りんごのコンポートも大好きだった。
昔、焼きそばを食べるとき「女の子は麺を食べるとき音をたてたらいけないのよ」と、おばあちゃんが教えてくれた。
それ以来わたしはラーメンもお蕎麦もうどんもパスタも、とても静かに食べます。
ただでさえ食べるのが遅くて、また更に遅くなってしまうのだけれども、なんとなくずっとそれを守っている。
死ぬって、変な感覚。
死ぬって、なんだろう?
死んだら、どこ行くんだろうね。
わたしはきっと、やらなければいけないことがたくさんあって、それをひとつずつきちんとこなしていかないといけないのだと思います。
怠けていたらいけないね、あっという間におばあちゃんになってしまう。
おばあちゃんはとても強く、優しい人だった。
おばあちゃんの話なんて、まとめきれないくらいある。
強いて言うならもう少し、小さいときに甘えられたら良かったなぁ。
一緒に寝たりとか、してみたかったなぁ。
おばあちゃん、天国でおじいちゃんに会ったら仲良くするんだよ。
おじいちゃんはきっと焼酎飲んで、煙草吸ってるだろうね、嫌な顔せずに晩酌に付き合ってあげてね。
二人に育てられて、わたしは立派な大人になりました。
普通に生きていたら知ることのない感情も、小さな頃からたくさん知ることができた。
だから、人前では泣かないよ。
でも、酔っぱらったときくらいは許してね。
あと、たまに眠れない夜も許してね。
わたしはお母さんを大切に、こらからも真っ直ぐに生きます。
おばあちゃんが死んだ。
今日は、おばあちゃんの誕生日。
生まれた日に死ぬなんて、なんだか宿命のようでかっこいい。
天国で見守っていてね。
面と向かって言ったことは一度もなかったけれど、大好きです。
ありがとう。
わたし、ちゃんと頑張るね。
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ご冥福をお祈り申し上げます。
おばあちゃん、亡くなったんですね。
ご愁傷様です
身内への想いは身内しかわからないと思います。
おばあちゃんのこと想って、しっかり生きていけば、おばあちゃんはちゃんと護ってくれます。
仁菜ちゃん、がんばれ。