誰に向けて歌うのか



わたしの音楽は弱者の絶対的な味方であり続けたいなと思っています

誰かを救えないとわたしも救われないし、自分を救えないと誰も救えない

何回も救えなかったから伝え方を個人間のやり取りから、音楽にして全世界へ発信することに変えてみた



ここまでツイートしようとしていた文章そのままです

長くなりそうだったのでこっちでまとめてみることにした



先日お話した通り、わたしの友人知人が数人自殺で命を落としています


もちろん自殺は残された人にとってつらいことだし、よくないことだと思う

けれどわたしは、「なんで自殺なんかしたんだ」じゃなくて「自殺するほど辛かったのに今までよく頑張ったね。お疲れ様、あなたは悪くないよ」と声をかけてあげたいタイプです

どんなに悲しくても死んだ人を怒ることはしない

責めるならばその人を死ぬまで追い詰めた奴を責める

死ぬほど嫌な思いをしてほんとに死んでしまったのに死んだ後も責められるなんて、そんなの悲しすぎる

自殺を良しとしているわけじゃなくても、視点があまりにも別目線すぎるので、周りからは「独特な死生観」だねと言われます

わたし自身もちょっとズレていると自覚しています



そもそも、「生きて欲しい」と他人が望むのはエゴだと思う

そんなに生きて欲しいならせめて救ってあげなよ、それから言おうよって思うけど、いざ言葉をかける場面となるとなかなか上手くいかない

救えないけど死なれると困る、その結果生の押し付けのような引き止め方になってしまう


亡くなったわたしの友人たちは、生きている間「それくらいで落ち込むのはおかしいよ」「悪口なんか気にするな。気にするお前もおかしい」「悪いのは些細なことで落ち込むお前だ」「甘え」だとか、とにかく色んな言葉で「弱いお前が悪い」と刷り込まれてきました


わたしは弱い人よりも、弱い人を攻撃する人の方が悪いと思っているから「弱くてもいいんだよ、泣いてもいいんだよ、ゆっくり元気になればいいんだよ」って何度も伝えたけど、届かなかった

「あなたのためを思って言ってやっている」という言葉の矛には勝てなかった


優しい人ほど「あなたのためにあなたの悪い所を言ってあげている」と言われると「自分が悪いんだな」と思い込んでしまう

そうして友人たちは、何も悪くないのに自分を責め続けながら、亡くなりました

味方の声が届かないのも仕方ないと思います。一度自分が悪いと感じてしまうと、味方の声を聞くことさえ罪深く感じてしまうから

どうしようもなかったんだと思うけど、救えなかったのは、とても悲しかった



弱い人が弱いままで、弱音を吐いても傷を作っても死にたくなってもそれでもいいから、最後の糸だけは切らないでほしい

もし耐えられなくなりそうだったら、わたしの曲をきいて、弱い自分のことを許してあげて欲しい

個人間のやり取りじゃ届かなかったけど、一方的に発信された音楽という形なら、必要な人が傍に置いておけるんじゃないかなと

それならきっと、次は救えると思う

みんなたちのことも、わたしのことも




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