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松坂投手引退セレモニー、容共左派&売国勢力たる最大野党・立憲民主党代表選

一昨年令和元・2019年オフに13年ぶりに高卒新人時代過ごした西武ライオンズ復帰した怪物18松坂大輔投手と同じ昭和55・1980年夏に出生の同じ日本人男子プロスポーツ選手たる事を心底誇りに存じる俺は、七年前の2014年から東京都羽村市に住民票置いている。衆院東京25区や定数2都議会西多摩選挙区の有権者でもある。

 

松坂投手は今季限りで現役引退。

 

10/19本拠地西武ドームでの(高校三年の1998年ドラフトでも競合し1999年4/7東京ドームでの18歳の高卒新人・松坂投手が日本プロ野球レギュラーシーズン初登板初先発初勝利時点の対戦相手でもある)日本ハムファイターズ戦で引退試合として先発登板、復帰後初登板の機会を85辻発彦監督&74西口文也投手コーチ<当時>に与えられた。(同じく高校三年で西武ライオンズにドラフト一位指名され同じくパリーグ最多勝三度獲得し同じく七年目24歳で開幕投手務めたシーズンにゴールデングラブ受賞の渡辺久信GMは松坂投手に対し来季のコーチングスタッフとしての入閣を要請も、松坂投手自身は固辞したようだが・・・)

俺自身バックネット裏で生観戦。

 

初回表、相手一番DH8近藤健介選手(横浜高校の13年後輩)の一人限定、五球投げ最速118㎞/h、与四球で降板。試合後、西武ドームのグラウンドを1周しながらファンに笑顔であいさつしていた松坂投手の目に飛び込んできたのは、最後まで偉大な先輩の姿を目に焼き付けようと日本ハムベンチで引き揚げずに拍手を送っていた横浜高4人衆と目を真っ赤にした相手の指揮官80栗山英樹監督<当時>。 照れ笑いを浮かべながら5人とガッチリ握手を交わすと場内の拍手が一段と大きくなった。

 

 本日、西武ドームにて引退セレモニー開催。観客として参加。

サプライズゲストとして、松坂投手と同じく98年夏の甲子園沸かせ数か月後のドラフト会議で1位指名37石堂克利投手の愛工大名電高校の七年先輩、松坂投手が高卒新人時代から幾度となく日本プロ野球パ・リーグやMLBア・リーグのレギュラーシーズンで対決し名勝負を繰り広げ、日本プロ野球の球宴ではオールパシフィックのWBCでは日本代表のチームメイト、現在は学生野球指導者として後進の指導取り組む鈴木一朗さん(=51イチロー外野手)も登場。花束を手渡して日米通算23年間の現役生活をねぎらった。

 

松坂投手の引退挨拶

まずはこのようなセレモニーを用意していただいた球団関係者の皆様ありがとうございます。そして、西武ドームまで足を運んでくださったファンの皆様ありがとうございます。

僕は今シーズン、きょうをもちまして23年間の現役生活から引退します。

野球と一緒で物覚えが悪いので紙を見ながら話してもいいですか。

2006年のポスティングでアメリカに行くときに、ファン感謝デーの日だったと思うんですけど、選手会長だったということもあり最後に挨拶する機会があったんですけど、やっぱりこの場に立つとですね、忘れちゃうんですよね。

なので同じ思いはしたくないので、しっかり自分で考えた文章をですね、紙を見ながら話をさせていただきたいと思います。

野球を始めたときから応援していただいているかた、ライオンズに入団してから応援していただいているかた、けがをしてから応援していただいているかた、たくさんのかたに支えてもらいました。

本当に長い間ありがとうございました。

僕の現役時代の原動力は、応援していただいているかたに喜んでもらいたいと思い頑張ってきました。

「one for all,all for one」ということばがありますが、「one for all.1人はみんなのために」、僕はこのことばを胸に刻み、投げ続けてきました。

僕が投げてきたことで、少しでもファンのかたが喜んでくれたり勇気やパワーを送ることができていたのなら、こんな姿になっても、まだまだ投げ続けたいと思いながらやってきて本当によかったと思います。

小さいころから投げること、打つことが大好きで、引退する直前までもっと投げたい、もっとみんなと勝ちたいと思っていた僕ですが、最後は普通に投げられなくなるまで野球を続けることができて本当に幸せでした。

プロ生活の後半は故障ばかりでしたけど、僕を産んでくれ育ててくれた両親に感謝しています。

小さいときから、常に僕と比較され、苦しい時期を過ごしたこともあった弟にも感謝しています。

若いときから引退するときまで、僕のわがままを許してくれた、妻、子どもたちにも感謝しています。

妻のお母さん、天国で見守ってくれている妻のお父さんにも感謝しています。

ただ、ここまで来る中でたくさんのかたに、たくさんの不満や迷惑をかけてきたことも事実です。改めて申し訳ありませんでした。

こんな僕に投げる場所を与えてくれたライオンズ、ホークス、ドラゴンズ、レッドソックス、インディアンス、メッツ、そしていつも僕の気持ちを奮い立たせてくれたファンの皆様、感謝しています。ありがとうございました。

そして、これからもプレーしていく選手の皆さんへ。

誰でもいつかやめる日が来ます。選手の時間は無限ではありません。

悔いの残らないように日々を過ごしてください。

引退試合の時にも言いましたが、トレーニング、体のメンテナンスには十分お金をかけてあげてください。

それがいつか自分にいい結果として返ってくるはずです。

もしそれが結果に結びつかなかったとしても、一生懸命考え、実践したことは、無駄にはなりません。

23年間やってきた中で、たくさんのうれしい経験、悔しい経験をしてきましたが、いつでも悔しい経験のほうが強く残っています。

その悔しい経験をばねに僕は挑戦してきました。

それは自分で自信をもって誇れる部分だと思っています。

今の結果に満足している選手は誰1人としていないと思いますが、そのときそのときの結果に満足することなく、うれしい経験、悔しい経験をたくさん積み重ねて信念を持って上を目指していってほしいと思います。

その経験、思いをこれからの世代に紡いでいくことができれば、またライオンズの黄金時代がやってくるのではないかと思っています。

これからは1人の野球ファンとして埼玉西武ライオンズの明るい未来を楽しみにしています。

最後に改めて23年間、長いあいだ支えていただき、前に進むために背中を押していただき、本当にありがとうございました。

 

 99年5/16に西武ドームで当時(1954年ライオンズ高卒新人だった)72仰木彬監督率いるオリックス野球クラブの主砲だったイチロー選手は高卒新人・松坂投手と初対戦し、3三振を喫した。

この試合で、松坂投手が試合後のヒーローインタビューで「今日で自信から確信に変わりました」という明言(名言?)を生み出し、日本プロ野球史に残る名勝負として語り継がれている。

両者がファン投票選出され西武ドームでの第1戦先発出場の同年の球宴直前7/6神戸で九回裏にイチロー選手は松坂投手から中越ソロ~通算100号本塁打。

 

 

 横浜高校時代の渡辺元智監督(当時)、WBC日本代表として共に戦った89王貞治&83原辰徳両監督、そしてホークス時代の81工藤公康監督(当時)、高卒新人時代バッテリー組んだ12歳上5中嶋聡捕手(現在はオリックス監督)多くの恩師からのビデオメッセージを笑顔で見ていた松坂投手。その後、俳優の妻夫木聡(40)がサプライズで登場し熱い抱擁を交わした。

続いて球場に登場したのは、それから高校三年でライオンズ入団発表記者会見から現在に至るまで変わらぬ師弟関係を築いてきた78東尾修監督(71)だった。

花束を手に照れくさそうに松坂投手の元へ駆け寄ると、花束を持ったまま記念撮影のカメラの方を向き笑顔。途中でそのことに気づき、松坂投手に何か突っ込まれながらニコニコと花束を渡した。この微笑ましい光景にメットライフに駆け付けたファンから大きな笑いと拍手が沸き起こった。

そして「大輔、お疲れさま。今、映像で渡辺監督が言ったことを聞いて、良かったと思った。(高卒新人時代から)ちゃんと軌道に乗ってくれて…ホッとした」と23年間の「平成の怪物」の活躍をねぎらった。続けて「一つ、あなたが私に対して、約束がはたせていないもんがありますよね?分かっていますよね、何か。あのボールの件ですよね。ね。だから、一つまた新たな約束をしてほしいです、僕は。今度はぜひ破らないように。大丈夫ですか。はっきり、大丈夫ですか?今度は守ってくれますか、じゃあ」と詰め寄る。苦笑いの松坂投手は「いや、あの内容にもよるんですけど」と返すと、場内は大爆笑。すると東尾監督は場内のファンを巻き込みながら「ファンの皆さん、耳を澄まして聞いてください。大輔、今度帰ってくる時は、ライオンズのユニホームしか着ちゃダメだぞ!どうですか皆さん」と声を上げ、ファンも大きな拍手で賛同。「大輔自身の口から、守りますと言ってください」と畳みかける東尾監督。「こればっかりは、僕がやりたいといっても来れるわけではないんで…」としながらも「またライオンズに声を掛けてもらえるように、またこれからももっと野球を勉強して、戻ってこれるように努力します」と“約束”した。

松坂投手は「昨日も別の仕事で一緒だったんですけど。全くそんな雰囲気出してなかったですね。お疲れーとか言ってサッと帰っちゃったんですけど。うまいなー。やっぱり東尾さんのピッチャーとしてのバッターに悟られない姿というんですかね。それをすごく感じましたね。やっぱり東尾さんの顔を見ると、一気に高卒新人の年に引き戻されるというか、高卒新人のときの記憶が蘇ってきますね。マイクパフォーマンスですか?あれも東尾さんらしいなと思いました。すごくうれしかったです」と語った。

98年の入団発表記者会見に手渡された“約束の200勝ボール”。200勝した時に返すという約束は守れなかったが、松坂投手と東尾監督の師弟物語、200勝ボールの約束の続きが楽しみだ。

一つの時代が終わった。

 

しかし、日本・アジア・世界の野球界の至宝。投手とDH指名打者or代打との二刀流、俺は松坂投手こそが相応しい、と思っていた。横浜高校時代、ダントツでNo.1の豪腕エースと同時に、主砲として打棒爆発させハマスタ・神宮・甲子園沸かせた輝かしい実績。もう一度打席に立って打棒をふるう姿見たかった。

 

高卒二年目の00年8/7には神戸でのオリックス戦で東尾監督に代打起用されプロ初打席で適時打も。ボストンレッドソックス移籍一年目&高卒九年目の07年は(守護神42マリアーノリベラ投手や北陸のゴジラDH55松井秀喜選手擁するNYヤンキースを凌駕し)アメリカンL東地区優勝・地区S制覇・リーグチャンピオンS制覇に大きく貢献し同年10/27相手本拠地クアーズフィールドでのワールドシリーズ(第三戦)生涯唯一の出場=先発登板、九番打者として満塁の三回表二死場面で二点適時打(その試合で5回1/3投げ自責点2奪三振5、現在に至るまで史上唯一の日本人先発勝利、その試合の対戦相手(ナショナルL西地区2位で同地区3位パドレスとのワンゲーム・プレーオフ制しポストシーズン進出)コロラドロッキーズの一番セカンドは<松坂投手と98年春夏甲子園投げ合ってU-18日本代表で共に戦った大親友PL上重聡投手の五年先輩であり高卒新人時代からチームメイト>77松井稼頭央ヘッドコーチ)。類稀なバッティングセンスと勝負強さ兼ね備えた事は言うまでもない。翌春のMLBレギュラーS開幕戦(アメリカンLだからDH採用)は東京ドーム開催でボストンレッドソックスの開幕投手に抜擢されアスレチックス相手に5回終了まで投げ自責点2奪三振6、勝利投手の権利を得たまま降板も直後に一時的に逆転され権利消滅、結果的に勝利に貢献し試合終了直後にお立ち台でインタビュー。

 

俺個人的に最も悔やまれる事は、高卒新人時代に東尾監督率いる西武ライオンズがレギュラーシーズン二位で三連覇=日本シリーズ出場逃し、横浜高校18年先輩(=77星野仙一監督率いるドラゴンズの代打の切り札)9愛甲猛選手との対決を大いに期待していたが、幻に。ナゴヤドームでのビジターゲームでも打席に入り韓国球界の至宝&竜の守護神20宣銅烈投手との対決見たかった!

 

松坂投手自身が10/19記者会見で述べた「諦めの悪さ」、すなわち執念、素晴らしい!再び勇気やパワーをもらった!

俺自身もボクサーとしては大変高齢だが日本人初のWBU世界タイトルマッチ出場に向けて、奮闘していきたい。

 

俺は今から11年3ヶ月後の令和15・2033年3/25(金)ボクサー現役引退表明(八日前3/17ムエタイの日タイ国ランシット地区でのムエタイ興行においてラストファイト・最終公式戦出場)年男36歳の誕生日三ヶ月弱経過の2016年9/25アマチュア選手活動終了&プロ転向表明(60日後11/24同地区で四回戦2RKOデビュー)から16年半、松坂世代52歳の誕生日から九か月弱経過。

それと同時に三ヶ月後に(松坂投手の横浜高校野球部1年先輩<=97年夏の甲子園出場逃し秋田商・石川雅規投手未対戦>上地雄輔捕手の実父)松坂世代の27歳上のオレ流・落合博満初代GMが同職退任の前々日の2017年1/29に現職市議として63歳の誕生日迎え5か月後に横須賀市長選初出馬初当選の上地克明元市議に挑戦=多選・高齢批判&同性婚絶対反対→パートナーシップ制度廃止を大義名分に出馬意向を表明する所存。

 

 

 

 俺という男は、

座右の銘:初志貫徹、首尾一貫、百折不撓、

性格:有言実行、「出来もしない事は口にしない&守れない約束は最初からしない」徹底。

 

国際式ボクシングと並行し民社党創立者・西尾末広元官房長官の信奉者として政治活動&選挙運動。

ボクサーとして目標達成した上で松坂世代46歳の令和九・2027年統一地方・前半で神奈川県議選初出馬!

 仮に西区選出県議として実績作ったならば

出生から幼小中は小樽、高校・大検・法大18歳入学は千代田区、成人式は文京区、

住民票・東京都羽村市&本籍地・横浜市西区で横須賀&三浦=衆院神奈川11区殴り込み

(民社党が1994年12/9日本青年館で解党から四半世紀ぶり復活版)新・国民民主党公認&(民社党の継承政治団体)民社協会推薦、連合神奈川&UAゼンセン支持、日産労連組織内自治体議員支援で出馬

日本の男性国会議員で最年少入閣果たし閣僚豊富な将来の首相候補の

(松坂世代の一学年下の東北のバンビ21岩隈久志投手より二日遅れで出生し関東学院六浦高野球部員だった)小泉進次郎元自民党青年局長に挑戦

希望拓志塾や政研フォーラムや政治スクールで学んだ事を生かして

反共・愛国・現実路線・拉致被害者奪還・国防強化&原発維持の必要性・外国人参政権&夫婦別姓の危険性を

主権者たる日本国民の皆様に熱く訴えます

 

しかも、上地元市議は早大商学部卒業し長年に渡り親中派・護憲派・リベラルな<現在は協力関係の進次郎元青年局長の実父の純一郎元首相の中選挙区時代の神奈川2区の対立候補>田川誠一元自治相の秘書や系列県議候補。

純一郎元首相とは県立横須賀高校の12年後輩で干支は同じ、政敵・ライバルだった。思想・信条も、価値観も俺とは大きく異なる。

俺は同性婚大反対だが、横須賀市は一昨年春県内自治体で初めてパートナーシップ制度を創設。

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永田町では先の衆院選で容共左派&売国勢力たる最大野党・立憲民主党が勢力減少した責任取って

さきがけ~旧民主党結党参加し日の丸&君が代踏みにじる国旗国歌法案反対し売国政策・外国人参政権実現や脱原発に尽力コンビ

代表・枝野幸男&幹事長・福山哲郎=在日韓国人時代・陳哲郎が揃って辞任。

 

一般党員・協力党員=サポーター(年間2000〜4000円の党費を納入している者)の約10万人が投票する「フルスペック」で実施、首相候補を決める公選なのだから日本国民限定は当然。

泉健太、逢坂誠二、西村智奈美、小川淳也の

いずれも今秋の衆院選で小選挙区勝利した四人の衆院議員によって争われた。

四候補とも外国人参政権や原発ゼロ政策の推進派(99年通常国会で国旗国歌法案採決され成立した時点で国政選挙出馬経験皆無)、危険思想・科学的社会主義基き皇室廃止&私有財産否定企む極左暴力集団・日本共産党との連携や共闘を打ち切る・絶つ意向は皆無。

11/30午後、東京都内のホテルで臨時党大会が開かれた。11/29に締め切られた地方議員と党員・協力党員=サポーターによる「地方票」の結果発表に続き、国会議員と公認候補予定者による投開票が行われた。1回目の投票の結果、泉が1位(189ポイント)、逢坂が2位(148ポイント)、小川が3位(133ポイント)、西村が4位(102ポイント)となった。4人の候補者のいずれも合計572ポイントの過半数に届かなかったため、泉、逢坂の上位2人の決選投票に進んだ。国会議員、公認候補予定者と47都道府県連の代表者各1人による決選投票の結果、205ポイントを獲得した泉が128ポイントを獲得した逢坂を抑え、新しい代表に選出された。

泉新代表の下、敗北した各候補は要職起用され逢坂代表代行・西村幹事長・小川政調会長体制に。

 

容共左派&売国勢力たる最大野党・立憲民主党、党首=首相候補いう表紙を変えただけで、中身は旧態依然(笑)

 

泉健太という男

松坂投手より六年早く明治神宮&国体で全国制覇し高校三年のドラフトで複数球団が一位で競合の北陸のゴジラDH35松井秀喜選手に代表される学年、47歳

1974年7/29北海道石狩市花川出身、札幌市北区で出生(いずれも地域も俺が生まれ育った小樽と同じ中選挙区の北海道一区内)、亡父は保守系無所属の石狩市議だった泉訓雄。

札幌開成高等学校卒業後に、北海道から京都に転居。立命館大学法学部卒、在学中は関西学生弁論討論交流会会長、全日本学生弁論討論交流会会長を務めた。卒業後は前述の参院議員・福山哲郎=陳哲郎の秘書を務め、00年衆院選で京都3区で25歳で民主党新人で初出馬時は次点で比例復活もならず、15・03年衆院初当選。以来比例復活含め8連続当選、鳩山・韓両内閣時代は内閣府大臣政務官。

民進党時代の2016年4月に一度議員失職(辞職)した上で、補選に出馬、当選したため実質的な任期は7期。

 

「小学生の頃、生まれ育った北海道で、今までの既得権益によらない勝手連ブームが起き、横路孝弘弁護士が知事選勝利しました。市民の力で政治が変わる、権力がひっくり返る。そういうことを、なぜか小さい頃から感じていました。

 その後、政治に関心を持って学生時代を過ごしていましたが、なかなか正しいと思う勢力は勝たないわけです。衆院選でも負け続ける。なぜこの国は自民党以外の政党が育たないのか、ということも自分の中にありました。

 ――小さい頃から政治家を志していたのですか。

 政治家になりたいと思ったのは小学生の頃ですね」

 

横路孝弘弁護士に憧れて政治家を志望したとは、俺とは非常に対極的だ(笑)

俺は幼い頃から戸籍上の実父と同じ札幌弁護士会属す極左イデオロギスト・売国政治家(実は俺の九段高校の39年先輩)横路孝弘弁護士を反面教師に

己の祖国日本を真剣に愛しヤマト民族の誇りを重んじ万世一系の御皇室の弥栄祈る臣民たる日本国民の在るべき姿求めてきた。

そして小樽藤幼稚園や稲穂小学校48年先輩の石原慎太郎元運輸相以上に右翼的なタカ派の政治家になろうと決意した。

その頃から、いつか(後に新進党神奈川県連事務局長代理)大場伊三郎の養子になる事を事決意。

 

俺は、中学2年冬休み直前の1994年12/10神奈川県横浜市西区のパシフィコ横浜で現在は養父となっている人物が職員に採用決定していた新進党の結党大会参加(その前日には新宿区の日本青年館で反共・愛国・現実路線、「自民党より右」と言われる外交・安保政策を掲げ拉致問題が見向きもされなかった時期から積極的に取り組んだ民社党の解党大会参加)。

その新進党結党に伴い結成された政治団体・民社協会(現在は国民民主党所属国会議員・都道府県議会議員・自治体議員、更に無所属の都道府県議会議員や自治体議員と俺みたいな民社党創立者・西尾末広元官房長官の信奉者で構成)。 

現在の衆院選・小選挙区比例代表並立制導入に伴い新進党結党大会の前日に発展的解党した民社党は反共主義や愛国精神を掲げ祝日法改正(「建国記念の日」2/11)&元号法制定尽力や国旗日の丸・国歌君が代法制化に取り組み、「自民党以上に右」と評される外交・安全保障政策を打ち出してきた。

 俺は国民民主党神奈川県連党員&神奈川民社協会横須賀支部会員。

 

民社党神奈川県連~継承政治団体・神奈川民社協会(松坂世代の俺は中二だった94年12/18海員会館での県連臨時総会=解散式&協会設立総会参加)は、

俺の養父・大場伊三郎が職員だった公明党神奈川県本部と長らく友好関係。90年代の一時期は共に新進党を構成していた。新進党解党の半年後の98年参院選の神奈川選挙区では、96年新進党新人として衆院選落選した民主党新人・浅尾慶一郎候補を、神奈川民社協会も公明神奈川県本部も(同時点で大場伊三郎がスタッフだった)新党平和や(数か月後に新党平和解党で大場伊三郎が再就職する)改革クラブも全面的支援。

その際は、日本新党~新進党~フロム・ファイブ~会派・民友連(そのうち三党が民政党結成)→民主党の当時現職・円より子候補は(突然国会議員辞職した細川護熙元首相の尽力で)最大野党・民主党拘束式名簿3位で再選。

民社党解党で全国47都道府県連解散→47の都道府県民社協会設立(現在は半数近くが消滅)直後の95年統一地方・前半(及び同年夏の参院選・地方区、翌秋の衆院選・都道府県内全ての小選挙区に公認候補擁立)で新進党都道府県連と一体となり(更に公明都道府県本部と共闘し)知事選、指定都市長選、道府県議選&政令指定都市議選戦った所は、神奈川<97年12/31分党前後の市長選でも新進党流れ汲む勢力が一致団結の横浜&川崎>&大阪<かつて西尾元長官が選出された地域、統一地方の八か月後=年末に市長選>のみ。 

 

 

俺個人的には、昨年9/15設立の新・国民民主党には民社党創立者たる西尾元長官の掲げた反共主義・現実路線・愛国精神を徹底し

松坂世代が小5や小6だった92年のPKO国会当時のような

<さきがけ&新生党と分裂前>自民党単独政権を同じ中道政党・公明党と支えた自公民路線を期待したい。(宮澤内閣信任案賛成)

更に今秋の衆院選で大躍進の維新含め憲法改正に尽力する勢力として部分的にも協力すべきだ。

 

すなわち、極左暴力集団・日本共産党、容共左派&売国勢力の立憲、社民、れいわで構成の野党陣営とは

今後は敵対関係となるべきである。

 

 

俺が唯一最大の敬愛やまない政治家・西尾元長官は、

労働運動の大家、戦後間もない時期に日本社会党の初代書記長~社会党右派のリーダー

しかし、バカ左翼との党内での思想闘争、更に岸信介首相(当時)の大目標・安保改正に協力惜しまず、

集団離党し1960年1/24九段会館で民社党結党大会

反共・愛国・現実路線、「日米同盟基軸、自民党より右な」外交・安保政策、拉致問題が見向きもされなかった時期から積極的に取り組んだ。

だからこそ、警察官僚(横浜市警察部長~神奈川県警察交通部長~内閣官房出向~愛媛県警本部長経験した法学者・魚谷増男先生)も新人候補にリクルート

日本消防協会に天下り経て民社党神奈川県連副委員長就任され86年参院選・当時定数2地方区次点

 

結党から解党までの35年間で統一地方選は八度。(県議選で確認団体制度導入された71年以前も)常に所属候補者=公認候補3名以上の同要件満たし

自民党・社会党・公明党に次ぐ議席を確保してきた(79年だけは結成間もなくブームで歴代党首のお膝元という事もあり新自由クラブの後塵拝した)

しかし横浜市西区で県議定数1となって以降は83、87、91の各年の民社党の公認or推薦や、民社党解党&新進党結党→民社協会及び神奈川民社協会設立以降に民社協会推薦の候補が一切存在しない(95年新進党の公認or推薦の候補も)。 

 

16年民進党代表選で『玉木雄一郎』ネクスト防衛副大臣<当時>が出馬、それ以来彼が18年国民民主党代表選含め出馬の度に俺が消極的に支持した理由が、良識有る保守政治家、憲法改正に意欲的・外国人参政権反対・女系天皇反対・原発ゼロ政策から距離置く事を表明しているから。

ただし、初当選直後の09年12月小沢大訪中団の一員として朝貢外交した事に関しては猛烈に非難や批判する!

 

彼は1969年5/1生=松坂投手より11年早く高三で日本プロ野球ドラフト会議指名された27吉永幸一郎捕手と同じ、18伊良部秀輝投手より四日早く出生

つまり16年当時は47歳の若さ、同代表選制した二重国籍で「赤いパスポートになるのがイヤだった」「自分の中のアイデンティティーは『日本』とは違うと感じる」と中国への思慕が強く、93年にニュース番組のメインキャスターに起用されると「在日の中国国籍のものとしてアジアの視点にこだわりたい」発言の<現在は容共左派&売国勢力の立憲民主党都連会長代行>蓮舫元行政刷新担当相より二歳下で

次点だった国旗国歌法案反対し外国人参政権賛成の<現在は新・国民民主党代表代行>前原誠司元外相より七歳下。

泉健太は18年代表選では玉木雄一郎推薦人名簿に名を連ねた。(16年代表選では前原誠司推薦人名簿に名を連ねた)

どうせ、国民民主党解党直後に、容共左派&売国勢力たる最大野党の新・立憲民主党結成に参加するのであれば、

自身と03年衆院初当選同期、同じ政治行動辿る津村啓介元内閣府大臣政務官を応援するべきではなかったのか(16年に関して言えば蓮舫元行政刷新担当相を)。不可解千万・笑止千万。

 

公明党の創立者が池田大作SGI会長であるように、俺が党員たる昨年9/15設立の新・国民民主党は六産別(電力総連・自動車総連・電機連合・UAゼンセン・基幹労連・JAM)からも支援受け民社党の四半世紀ぶり復活版なのだから、西尾元長官を源流・ご先祖様に位置付けるべきだ!

そして、かつての民社党に塚本三郎委員長や西村真悟元防衛政務次官や栗栖弘臣元幕僚長や松下正寿元立教大学総長が在籍したように

新・国民民主党も極右政治家たる国会議員候補を抱えるべきだ!俺が仮に西区選出県議として実績作れたら、その先駆けになりたい。 

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大場綜(おおばそう)

大場綜(おおばそう)
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身長・体重:172cm・60kg
生年月日:1980年6月30日
血液型:A型
所属事務所:チーム・バカボン横浜西

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