瞑想はするべきか?
雨雲が西からどんどん近づいているようでして、窓から見える大阪の街が白く煙ってきました。ローカルテレビの映像を見ていると、神戸のハーバランドあたりは雨が降り出したようです。
引きこもりの今日でしたが、仕事も読書も楽しくこなしています。昨日撮影した写真を見て、ちょっと休憩ですね。
このボトルブラシという花は、可愛いですね。そして本当にボトルブラシに見えます。学生時代に実験実習で使っていたブラシを思い出します。
明日の午前中は雨の予報ですが、予定していた伊勢に行くことにしました。いつでも行けるわけですから朝から晴れる日を選べばいいのですが、なぜだか明日に行きたくなったのです。こういうのを直感というのでしょう。雨上がりの伊勢神宮も気持ちがいいと思います。
こうした直感は、私の場合瞑想中にやってくることが多いです。毎朝午前4時台に起きて瞑想をしていますが、瞑想中にインスピレーションを受け取ることがよくあります。
さて、瞑想というものを勧めている方は大勢います。特にスピリチュアルに関することに首を突っ込むと、必ず瞑想に出会います。そして共通して言われることは、瞑想は意識の覚醒にとって大切であり、是非やるべきだということですね。
私にとって瞑想とは、現れては消えていく思考を「観る」行為です。人間は起きて活動している間、ナイアガラの滝のようにとめどなく思考やそれにともなう感情を生み出しています。次から次に、思考は止まることなく流れてきます。
しかしそうした思考や雑念を止めることはできません。止めようとすればするほど、その勢いが強くなってきます。実は雑念が無くなったと思っても、そのとき思考は止まっていません。「止まった!」と思うことも、残念ながら思考なのですよね〜
思考は止めるものではなく、放置するものです。おいかけることをしないで放っておけば、自然と消えていきます。現れては消えていく思考を「観る」練習を積むことで、その思考が生まれてくる根源を知ることができるのです。それは本当の自分です。
そうした練習をするという限りにおいて、瞑想は効果的だと断言できます。しかし「瞑想はするべきか?」と問われたとしたら、私は首を横に振ると思います。悟りというものは「起きる」ものであって、「起こす」ものではないと感じています。
「するべき」ことに囚われている限り、できない自分を創り出すことになります。いつかは必ず「起きる」ものですから、必死で到達するものではありません。悟るために瞑想が絶対必要ではありませんが、「起きる」ことを近づけることになると思っています。
だから私は毎朝楽しんで瞑想をしています。以前は時間にこだわってタイマーで時間を計測していました。しかし今ではやりたい時間だけ瞑想をしています。1時間以上していることもあれば、30分程度で終わることもあります。
大切なのは夢中になって瞑想することです。義務感や時間に囚われている限り、そうした信念という思考から離れていないということですね。私にとって早朝の瞑想は、楽しみながら練習をしつつ、本当の自分を垣間見るひとときです。
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