プチ☆スピ Vol.15
お昼のブログでも書きましたが、昨日図書館から借りてきた本にハマっています。歴史的な用語が多用されていて、ぎっしりと内容が詰まった本なのですが、今日中に読んでしまいそうな勢いです。
流れに任せていると、最適な時期に出会いがあります。こうした本との出会いもそうですね。原稿の終盤を書くにあたって、いい雰囲気で物事が進んでいるようです。
午後のブログもミューナの写真です。外に出ていないので、今日は写真を撮っていないからですね〜
【徳には何の権威もない】〜『四季の瞑想 クリシュナムルティの一日一話』より。
言葉や文字には限界があります。その意味するところを表現しようと思っても、自分が意図することをそのまま伝えるのは難しいですね。今日のクリシュナムルティの言葉も、短い文章ですが読み流してしまうと心に残ることはありません。
ここで書かれている「徳」というのは、人間社会としての一般的な道徳を指しているのではありません。また仏教で説明されているような「徳」とは違う意味のように思います。人間として、そして地球の一員としての、本質的に存在しているものの発現だと感じます。「愛」という言葉が適切だと思います。
「結局、徳とか倫理的行為とは、良きことを繰り返すことではありません。機械的になるやいなや、それは徳ではなくなってしまうのです。徳とは、謙虚さのように、一瞬一瞬存在するものです」と説明しています。
例えとしては変かもしれませんが、飲食店のサービスが頭に浮かびました。お客さんに対して、席に案内してから料理を提供して席を立つまで、様々なサービスが提供されます。全く同じサービスを受けても、提供する人の気持ちによって受け取り方が違います。
同じ水を出される行為でも、心地良く感じることもあれば、逆に不快感を持つこともあります。同じ行為でも、仕事としての義務感だけでやっているか、心から接待したいと感じているかの違いですね。その義務感こそが、この言葉に書かれている「権威」だと解釈していいかと思います。
自分の心の声に問うことなく、無意識で義務的に従うことが権威であるとしたら、それは一種の恐れのようなものかもしれません。愛を根拠として行動するのではなく、恐れに突き動かされて行動することの無意味さを説明した言葉だと思っています。
「精神は権威から自由になれるでしょうか? つまり、精神が恐怖から自由になり、それによってもはや追従しないでいられるようになることが? もしそうなることができれば、機械的なものになる模倣に終止符が打たれます」
じっくり感じてみたい言葉ですね。自分の言葉や行動の源泉が、愛から出たものであるかどうかを意識していきたいです。
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