幸せは他人との比較で得られない
夕方になって朝のようにどんよりしてきた神戸ですが、涼しい風は吹き続けています。関東では猛暑のようですね。館林では39度を超えたとか……。
そんな夏の日の今日、初めて見るものに出会いました!
えっ、セミの抜け殻がどうして初めてなの?と思いますよね。
これは写真ですからわかりませんが、実は動いているのです。きっと羽化しようと思って木に登る途中で落ちたのかもしれませんね。最初は抜け殻だと思ったのですが、歩道を歩いていたのでビックリしました!
このままだと誰かに踏まれてしまいますから、妻が近くの木の茂みに避難させました。ちゃんとセミになって大空を飛べたらいいですね〜
そして今日はちびニャンコも写真撮影に参加してくれました。
お母さんニャンコにソックリな子猫です。ずいぶん大きくなりました。
もう一匹の子猫は臆病ですぐに逃げましたが、違う方向から写真を撮らせてくれました。パッと見では大人の猫と変わらなくなってきましたね。
少し腰の痛みを気にしながらの散歩でしたが、羽化前のセミや子猫たちに会えて幸せでした〜〜
幸せというのは自分のものの見方や捉え方です。こんな何気ないことでも、言葉にできないほどの幸せを感じることができます。逆に同じ出来事に出会っても、幸せだと感じる心を持つ事がなかったら何も感じないでしょう。
特に幸せを他人との比較に求めている人は、不安定な幸せしか手にすることはできません。自分が誰かより優れていると感じたり、誰かよりラッキーだと感じたり、誰かのように不幸でないと思う事で受け取る幸せは、長続きしません。
この現実世界は「無常」の世界です。上手く行く事があれば、いかないこともあります。思い通りの出来事が起きることがあれば、そうでないこともあります。子供の頃から競争社会が当たり前だと教えられて信じている人は、常に他人との比較に自分の幸せを重ねてしまいます。
そんな比較の思いは、無意味な優越感や嫉妬、そして自分の失敗を恐れる気持ちや他人を蹴落とす思いの温床となってしまいます。運良く幸せを感じたとしても、次の瞬間には落ち込むことになります。そんなしんどい幸せなんて本物ではありません。
究極の幸せは自分が「在る」ことのなかにあります。この世界に存在すること以上の幸せはありません。それは自分が主体となって感じる幸せです。そこに幸せの基準を置く事ができれば、他人の動向なんてどうでもよくなります。
私は今朝起きてから今まで、幸せだと感じることを書き出せばキリがありません。このブログを埋め尽くす自信があります!
その根底にあるのは、自分が「在る」ことです。今日という新しい「今日」を生きること以上の幸せは存在しないと思います。
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