手放す勇気
野菜が高い!大雨の影響らしいですが、この一週間ほど野菜の高値に驚いています。キュウリ一本が90円って……
今日の午前中の散歩で出会った花です。まるでチャクラが開いたような花びらですね。
そんな今日の買い物中、心臓が凍りそうな出来事がありました。信号が青になったので妻と横断歩道を歩いていますと、3歳くらいの子供が私の前を歩いていました。その数歩前にいる女性が母親だと思ったのですが、子供に対する意識がないので心配していました。ところが……。
その子供の母親は私の背後の歩道にいたのです。どうやら子供から目を離したようで、私の背後から子供に呼びかけています。その子供はパニックになって引き返そうとしました。そこへ左折してきた車が……。
間一髪で自動車が急停止しましたが、もう少しで大惨事です。子供から目を離すことは問題ですが、横断歩道を途中まで歩いている子供に呼びかけるなんてさらに危険です。黙って自分が子供に駆け寄るべきです。本当に驚きました。
さて、幼い子供から目を離すのは危険ですが、私たちが抱えている不必要な感情や思考を手放すことは大切です。今朝のブログで予告していましたが、私がどのような感覚で「手放す」ことをとらえているかを書いてみます。
スピリチュアルなセミナーや著作で「不必要な感情を、イメージして手放しましょう〜!」みたいなことが言われています。しかし感情や思考を手放すことは、イメージするだけで手放せるような簡単なことではありません。不要品を手放すようなことと違うのです。多大なる勇気と決断が必要とされます。
なぜなら、その思考や感情に対する私たちのしがみつきの強さが半端ではないからです。母親の胎内を出てこの世界で生きていくうえで、小さな自分を守るために何かにしがみつくのが本能だと思います。そして数えきれないほどの概念や観念を自分にとっての真実として抱えていきます。それはやがて「人生はこうあるべきだ」「人生はこうあるべきでない」という思い込みで埋め尽くされていきます。
そのような強いしがみつきを手放すためには、予想以上の強い勇気が必要です。私が最も理解しやすいイメージは自動車の運転です。その勇気は、運転中の自動車のハンドルから手を離す行為と似ています。もう自分の力ではどうにもならず、全てを明け渡すしかないという状態です。
ではどうすればハンドルから手を離せるのか? それは、その自動車が自動運転されていることを信じることです。つまり「全てが必然」だと心の底から思えることです。人生で起きるべきことは起きます。その全てを受け入れることができるかどうかだと思います。
その自動車は間違いなく本当の自分が予定しているゴールを目指しています。しかし、それが自我である「私」の観念通りとは限りません。「私」がハンドルを右に切りたいと思って必死になっても、左に曲がるときは曲がります。その「私」の抵抗が、人生で苦悩を創り出すことになります。
この短いブログの場では全てを語ることはできませんが、私が持っているハンドルから手を離す感覚を伝えたいと思って書きました。これが真実ですよと言っているのではありません。その私のイメージを皆さんにあてはめてみて、何かを感じるきっかけにしていただけたら幸いです。
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