常識という非常識
朝から気持ちのいい晴天が続いていまして、久しぶりにお布団をじっくりと干すことができました。ここのところぐずついた天気でしたからね。最高気温は30度を超えているようですが、自宅にいると肌寒く感じるほどです。
昨日見つけたピンクの百日紅ですが、まだまだ夏が続いて欲しいと思っているかもしれません。蝉も頑張って鳴いていますね。
さて、相変わらず次の物語のためにインプットを続けていますが、中心として読んでいるのは歴史関連の本です。通説的な書籍ではなく、今までの常識を打ち破るような斬新な仮説を展開されている著者の本を選んでいます。そんな仮説のなかには、意外と真実が隠されているように感じます。
歴史事実そのものを物語にする意図はなく、そのエッセンスを抽出しています。私たちが学校で歴史的事実として勉強したことが、どれほど曖昧なものかを実感してばかりいます。常識の壁を打ち破る本を読むことで、大きな刺激を受けています。
例えば8世紀に編纂された『日本書紀』という歴史書があります。信頼できる史料として学校でも学びましたね。天武天皇の時代に編纂が開始されましたので、天武天皇寄りの歴史書であると一般的に考えられています。ところが『日本書紀』には天武天皇の前半生が記述されていません。
逆にライバルであった兄の天智天皇については詳細に書かれています。それは『日本書紀』が完成されたのが編纂を命じられてから30年以上経過してからであり、そのときに権力を握っていたのが藤原鎌足の息子である藤原不比等の時代だったからです。
つまり天武天皇を讃えるために作られたと定説になっている『日本書紀』が、実は反天武天皇の立場で書かれている可能性のほうが高いのです。天武天皇の真実の姿を隠蔽するために、その生涯を曖昧にしか記述していないとのこと。つまり実体は天智天皇の寄りの歴史書だっという仮説です。
このようなことは氷山の一角であって、歴史に関してだけでも私たちが常識だと思っていることが、全く事実と違う可能性があります。常識というのは多数決で決められた概念に過ぎず、真実を表明しているのではないことを自覚する必要があるのかもしれません。
歴史だけではなく、日常生活で私たちが常識だと思っていることを疑ってみることは大切です。思考停止で物事を受け取ってると、多数決でしかない常識を真実として受け取ってしまうかもしれません。常識を盲目的に信じることこそ、非常識な態度かもしれません。Appleの創始者であるスティーブ・ジョブズは常識に囚われなかったからこそ、多くの斬新で革新的な商品を生み出せたのだと思います。
私と妻がよく行くスーパーで、いつも見かける年配の女性がいます。髪の毛はコールタールのように固まっていて、いつもひとりで大きな声で見えない誰かと会話をされています。常識的に見れば、精神に障害を持たれた方だと思うしかありません。
しかし昨日、帰り道に歩きながら妻とその女性について話していました。もしかしたらその女性が普通であって、私たちがそうでないかも…ということです。たったひとつの「私」という存在と強烈に結びついて、この現実世界を絶対的なものだと考えている私たち。
もしかしたらそれは集合意識で創造された単なる多数決の概念であって、真実ではないかもしれませんね〜
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