味の記憶
朝から雲が多く、太陽の光をあまり見ることができない1日でした。今夜から本格的な雨のようです。外を歩いていてもそれほど寒さを感じませんが、燦々と輝く太陽の下を散歩したいですね。これからが冬本番なのに、今から春を待ち遠しく思ってしまいます。でも春の息吹を見つけました!
咲き始めた蝋梅を見つけました。とてもいい香りでした。季節が足を止めることはないのですね。
さて、最近はフランスのテロの事件に隠れていますが、ファーストフード店の異物混入問題が話題になっています。マクドの商品に関してだけでも、ほんまかいなと思うほどの混入報告がネットに出ています。
昨年は一度もマクドに行っていませんし、行きたいと思うことも最近はないので、ちょっと他人事のように静観している私です。ちなみに関西の私たち世代では、マクドナルドのことをマクドと言います。マックと言われても違う場所のように感じます。ダサいと言われそうですが、フランスでもマクドと縮めて言うと聞いたので、自信を持って「マクド」と言っていま〜す
私より少し下の世代になると、マクドの商品は物心ついた頃から食べている人が多いでしょうね。30代や40代前半の人なら、きっと子供時代から普通に食べていたかもしれません。ある意味ソウルフードのような位置付けになっているかもしれませんね。そんな人たちにとっては、今回の出来事はちょっと気になることなのかもしれません。
そんなことを考えながら、自分のソウルフードに想いを馳せてみました。私は記憶を意図的に振り返るとき、その最初の瞬間を思い出すようにしています。決定的な瞬間を思い出すことができなくても、その時代かなぁと何となく感じることはできますね。
袋入りのインスタントラーメンは、私にとっては立派なソウルフードです。「チキンラーメン」「サッポロ一番」「出前一丁」「ワンタンメン」等は、子供の頃から数え切れないほど食べています。どれだけ美味しい一般のラーメンを食べても、別物として味の記憶に刻まれているものです。最近は滅多に食べることはありませんが、懐かしく思うことはあります。
そういう意味では「カップヌードル」も私にとってはソウルフードかもしれません。小学校の高学年の頃の冬、友人数人と京都の山科から宝ヶ池まで自転車で遊びに行ったことがあります。土地勘のない方はわからないと思いますが、子供が自転車で往復するにはとんでもない長距離です。
その時、宝ヶ池の自動販売機で買って食べた「カップヌードル」は、私にとって忘れられない味ですね。まぁ、私の子供時代はジャンクフードなんて言葉はありませんでしたから、何でも気にせず食べていました。だからそのような商品の味は、自分の記憶の奥深くに刻まれている思います。
そう思って考えると、どんなに食べ慣れた食べ物でも初めての瞬間があります。5歳くらいの頃、夏になると毎日食べさせられた素麺の味は、母の思い出と一緒に残っています。あのときは嫌で嫌で仕方なかったんですけれどね〜
考えつく限り古い味の記憶って何だろう?
さすがに母乳の味は記憶にありません。母に抱かれていた記憶はあっても、その味の記憶はないですね。考え得る限りの古い味の記憶は、哺乳瓶で飲んだリンゴジュースの味だと思います。今のように100パーセント果汁のものじゃないと思います。きっと香りがついた程度のものでしょう。
でもそのジュースの甘く切ない味と、哺乳瓶の吸い口のゴムの嫌な味が同時に記憶にあります。きっと2歳とか3歳くらいまでの記憶でしょう。私がフルーツの中でリンゴが最も好きだと感じているのは、もしかしたらその味の記憶が理由かもしれませんね。
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