今日の言葉 6月11日
『注意には限りがなく、境界がない』
精神の修養にあたって、私たちは集中ではなく、注意を重視すべきであります。精神を無理やり一点に絞り込むプロセスが集中であるのに対して、注意には境界がありません。集中のプロセスでは、精神は常に境界、限界によって制限されています。しかし精神をまるごと理解することに関心を持つ時、単なる集中は障害となります。注意には限りがありません。
知識は蓄積によってもたらされます。そしていかに知識を広げたところで、それは相変わらずそれ自体の境界内にあります。注意している状態では、精神は知識を用いることができるし、実際用いています。そしてその知識とは、必然的に集中の結果もたらされたものなのです。しかし部分は決して全体たり得ず、部分を沢山繋ぎ合わせたところで、全体が持つ知覚は生まれません。集中を積み重ねていくプロセスである知識では、計り知れないものに対する理解はもたらされません。
そこで注意が肝要となります。しかし注意は集中という努力によってもたらされるものではありません。注意というのは中心、すなわち、積もり積もった経験としての知識を引きつける中心を持たずに、精神が絶えず学んでいる状態のことです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜