今日の言葉 6月18日
『気づきを鍛錬するなどできない』
気づきを訓練し習慣に仕立て上げてしまったら、それは退屈で苦痛に満ちたものになってしまいます。気づきを鍛錬することなどできません。訓練できるものは、もはや気づきではありません。訓練は習慣の発生、努力、そして意志の行使を伴うからです。努力とは歪めることです。
空を飛ぶ鳥、影、絶えず打ち寄せては帰っていく海、木や風、乞食、走り過ぎていく高級車に対するような外面的な気づきばかりが気づきではありません。心理プロセス、内面にある緊張や葛藤に対する気づきもあるのです。あなたは飛んでいる鳥を非難したりしないでしょう。観察し、その美しさを見るだけですね。ところが自分の内面的な衝突を見ると、それを非難し、正当化したりします。この内面的葛藤を選り好みしたり正当化したりせずに観察することが、あたなにはできないのです。
自分の思考と感情に、それと同一化したりそれを拒んだりすることなく気がつくことは、退屈で苦痛に満ちたものではありません。しかし成果や獲得すべき結果を求めると、葛藤が増し、努力奮闘による倦怠が始まるのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜