「今」を強烈に感じる瞬間
昨日の夕方までは風だけでしたが、夜半に本格的な雨が降ってきました。我が家のバルコニーは東向きなので、朝起きたらガラス戸がびっしょりでした。あまりに蒸し暑かったので少し開けると、猛烈な風が吹き込んできます。
ところが2時間もしないうちに、風向きが西方向に変わりました。台風の移動にともなって変化する風を感じると、台風が天気図通りに動いているのが分かりますね。午後3時のバルコニーはこんな様子です。
風は南よりに変わり、雨は相変わらずしっかり降っています。今日は買い物に出る日なのですが、さすがにこの雨と風では出る気になりません。以前のように自動車を持っていれば何も考えずに外出しますが、こうして天気を見て悩むのは自動車を手放したゆえの楽しみですね。
我が家は食料を備蓄する、という習慣がありません。基本的に一日置きに買い物に出ますが、その2日分の食材を買ってくるだけです。もちろんお米や調味料はありますから、何とかなるのですけれどね。
夕方までに雨が小降りになれば、思い切って買い物に出よう、と妻と話しています。もし今のままなら、家にあるもので適当に夕食ですね。もしかしたら夕方に外出するかもしれませんので、いつもより早めにブログを書いています。
さて話は変わりますが、私たちは常に「今」を生きています。過去や未来は記憶や想像でしかありません。永遠の「今」の積み重ねなのです。そうした「今」を、強烈に感じる瞬間があります。それは文章です。
パソコンを使って文章を書いていると、ソフトの影響でバグが出ることがあります。自動でバックアップを取る設定にしていても、タイムラグで消えてしまう文章もありますよね。
昨日の夕方のブログを書いているとき、ほぼ書き上げた直後にブログのアプリがバグってしまいました。最後の5〜6行が消えてしまったのです。時間にして数分前ですから、すぐに思い出して書き直せそうですよね。
ところが実際に書き始めると、先ほどと同じ文章を書けません。書きたいことは同じでも、その瞬間しか書けない文章ってあるのです。絵画や作曲という作業も同じではないでしょうか? 時間を巻き戻してリスタートしても、まるでパラレルワールドのように違った作品ができると思うのです。
昨年書いた原稿を、ここ最近推敲しています。明日中には終了する予定なのですが、そうした過去の文章を見ているときに、同じことを感じます。自分の文章であるのに、自分が書いたとは思えないのです。よくこんな表現を思いついたなぁ、と感心していることもあります。まるで他人事ですよね。
同じことを伝えようとしても、そのときの「今」の自分でしか伝えられないことがあるのだと思います。かといって、未来になるほど素晴らしい表現ができるとは限りません。その瞬間だけのキラメキのようなものもあるはずです。それはその一瞬の世界にしか存在しませんから、もう一度手にしようと思っても無理です。「今」の自分が発信できる、精一杯の言葉で綴るしかないのですよね。
だからこそ、常に「今」の自分をブラッシュアップしていきたいと思っています。感性を研ぎ澄まして、その瞬間に感じられる最大のものを受け取れる自分でいたい。そのためには、自分が与えられる最大のものを表現することが必要なのでしょう。アウトプットとインプットは等しいはずですからね。与えた以上のものが返ってくることはありません。多くを得たいのなら、多く与えることが大切です。作家の辻仁成さんが、毎朝Twitterで同じ言葉を呟かれています。
「今日も精一杯、生きたろう」
その通りですよね。最高のパフォーマンスを表現できるのは、常に「今」しかないことを理解されている言葉だと思います。
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