今日の言葉 8月19日
『孤独を見つめる観察者は存在するか?」
私の精神は孤独を観察すると、それを避けたり、それから逃げたりします。しかしもし孤独から逃げ出さなければ、そこに分裂はあるでしょうか? 分離はあるのでしょうか? 孤独を見つめている観察者は存在するのでしょうか? それとも孤独という状態があるだけなのでしょうか?
私の精神は孤独を観察します。思考する者は自分が孤独であることに気がつきます。しかしその孤独とともに留まって、充分接すると、つまりそこから逃げたり、解釈やその他諸々をしたりしないと、その時、観察する者とされるものとの間に違いはあるのでしょうか? あるいは一つの状態、つまり精神そのものが空っぽで孤独である、という状態があるだけなのでしょうか?
このような時、精神——つまり自分が空っぽであることを自覚していて、自分が払ういかなる努力も、またその虚しさから遠ざかるいかなる動きも、単なる逃避や依存にすぎないことに気づいている精神——が、諸々の依存を全て放棄し、あるがままでいること、つまりすっからかんで、全くの孤独であることは可能でしょうか? そしてもし精神がこのような状態にあるならば、あらゆる依存や執着からの解放があるのではないでしょうか?
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜