動物の思考とテレパシー
湿度が帰ってきました。今日は朝から湿度が高くて、蒸し蒸ししています。日本に近づいてきた台風が、暖かくて湿った空気を送り込んでいるようです。余計なことをしますよね!
それでも雨が降らなかったので、朝のブログを書いてから、思い切って散髪に行ってきました。そして郵便局に寄ったり、スーパーに寄ったりして、いつも通りの予定を消化。そして午後からは仕事をして、一週遅れの大河ドラマの録画を見ました。
ちょっとピンぼけの写真になってしまいましたが、綺麗だったので散歩中に撮影させてもらいました。この花の近くには大きな芝生の広場があります。人口の水路があるのですが、鳩たちは全身びしょ濡れになって気持ちよさそうに水浴びしていました。蝉たちの声も、まだまだ元気があります。今日はしっかりと夏を感じました。
散髪に行った時、私がどうしても正直に答えられない質問があります。それはシャンプーをしてもらっている時「どこかかゆい部分がありませんか?」という質問です。
どこかどころか、全体がかゆい感じするねん、というのが本音です。でもそんなこと言えません。「いえ、大丈夫です」と消え入りそうな声で呟くのが精一杯。散髪自体が苦手ですし、理髪店で会話をするのも嫌です。どうでもいいから早く終わってほしいので、そのように答えています。
ところが今日は、私のとなりに豪快な男性がいました。私より年上だと思います。とにかく理容師さんと喋りっぱなしで、耳が痛いくらいうるさい。そしてシャンプーになると、店員さんからおきまりの質問が。すると、
「もうあっちこっち、めちゃくちゃかゆいねん。しっかり洗うてんか!」
おぉ、なんとストレートな発言。思わずプッと吹き出しましたが、豪快さが気持ちよくもありました。思っていることをストレートに言葉にするのは、トラブルも多いでしょうが、ある意味気持ちがいいことかもしれません。そう考えると、人間は思考する時言葉を使います。あたまがかゆい、と感覚で感じたことを言葉に変換して思考していますね。散髪中に目を閉じて何かを考えている時も、言葉を通じて思考しています。
でも動物たちは、どのように思考しているのでしょうか? ブログで連載した『古都の炎舞』を現在リノベーション中ですが、カラスが会話をします。当然物語ですから、カラスは言葉を使って思考しています。でも実際は違うはずですね。言葉という仲介を使用して思考しているのは、人間だけではないでしょうか?
もちろん動物たちも声を使います。鳴き声で変化をつけて、甘えたり警告したりします。それは何かの情報を得て、彼らなりの思考と判断の結果、発した鳴き声だと思います。でもその鳴き声で思考しているわけではないはずです。言葉でしか思考できない私たちにとって、その感覚は想像し難い世界のように感じます。
もしかしたら人間がテレパシーを使えなかったり、動物や植物と会話できないのは、言葉を使うからではないでしょうか? 言葉という人間にしか通用しない道具で思考するから、意思の疎通ができないのではないでしょうか?
言葉や文字は二元性を持っています。使用したとたん、正反対の意味が意識に生じ分離を経験します。その分離が、動物や植物たちの意識から私たち人間が遠ざかっている理由だと思います。言葉で思考している限り、テレパシーも自由に使えませんし、動物や植物たちと会話することもできないように思います。
私たちが言葉を捨てて、起きる出来事に対する批判や判断を手放し、ありのままを感じた時。隠されていた人間の能力が復活するのではないでしょうか。でも言葉を使わずに思考するのは、どうすればいいのか? そもそも思考することが、言葉を使うことになるのかも。私たちが手放すべきなのは、言葉ではなく思考なのかもしれませんね〜!
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